(小屋閉めの後山里から)
何やら同じ内容となりますので、「2010小屋閉めの後」をこの「2010親爺のずぼら日記」と合併します。
その方が更新もしやすいものですから・・・。
平成22年10月25日 剱御前小舎 親爺 拝
12/31
平成二十二年も大歳となった。
大歳と言えば親爺が子供の頃から、大晦日のことを我が芦峅寺では「おおとし」と言っていたので、親爺は今もこんな古い言葉
を使うことが多いが、流石に今の若い人たちには死語に近い言葉かも知れない・・・。
今朝は起きて直ぐからオカカとおせちの仕上げ。煮物、年越し蕎麦、雑煮用の出汁を先ず大鍋で取るのが親爺の役目。今日ば
かりはこれでもかと、料亭並みに鰹節を使う。
オカカは煮染めの材料を切り、親爺は田作りを煎り上げ、生麩を煮染め、鴨ロースを煮上げてひとまず役割分担分を終えたが、
余力があったので椎茸の甘煮まで仕上げた。流石親爺、喰うことにだけは気合いが入っている・・・。
左上から、子持ち鮎の甘露煮、ぶりの幽庵焼き、黒豆。左下から、たこの柔らか煮、生麩、キンカンの蜜煮、鮭の粕漬け、京芋煮、
下は田作り。

オカカの煮染めと親爺の鴨ロース、椎茸の甘煮は未だ味をしませているところ。
親爺の猫の手もここまで。重箱への盛り込みなど、つまみ食いをする親爺は参加資格が得られない・・・・・・。

12/30
昨日は鮎の甘露煮を煮上げ、ついでにたこの柔らか煮も仕上げた。
今日はキンカンの蜜煮を仕上げ、たこの煮汁で海老芋を煮るつもりで、そうすれば明日の大晦日は、鴨ロースと生麩の煮物で
親爺の割り当てが終了となる。オカカの黒豆もとても良い出来で、昨日はご挨拶にお見えになった剱御前小舎のお客様Yさんに
焼き穴子(これがまた播州家島産の絶品)を頂いたものだから、オカカ親爺共々とてもきげんが良い。
正月準備は順調に進んでいるが、明日から正月にかけて大荒れの天気予報が出ているので、それが少し心配だ。
まぁ、ハナから寝正月と決めている親爺だから余り大騒ぎすることもあるまいが・・・。
暖かい部屋のガラス越しには不動山が凍てついている。

12/29
夕べ御用納めを終えた長女が帰宅して、三人の娘全員が集合した。
親爺もオカカももう、居間でのんびりくつろげぬ。この三人がそろうと華やかで誠によろしいのだが、姦しいと言う字が如何に真を
突くものかを思い知る。まぁ、甘い親爺としては煩いながらも「元気でよろしい。」と鼻の下がまた延びているのだが・・・。
去年の年末年始も酷い雪だったが、今年も予報では大荒れの天気らしい。それならば年末に全てを片付け、寝正月を決め込む
に限る。親爺もオカカと一緒におせち作りで、今日明日は人並みに一寸忙しくしなるかもしれない。
昨日の鮎はこんな風に最終仕上げ。殆ど煮汁を半分にまで煮て、一晩置いてからもう一度水や酒や醤油を足して煮上げ、煮汁
が僅かになるまで煮詰める。奥山で採った笹をびっしりと轢いて煮るから、焦げなくて綺麗に煮上がる。

12/28
雪も今日は小康状態。昨日は末娘が帰省し、今日は次女も帰省する。夕刻には勤務の終わった長女も帰宅するから、親爺と
オカカはこれから正月明けまで賑やかで、場合によっては賑やかすぎて、恐らくしばらく馴染んだ居間での生活から、二階の親爺
部屋に引っ越しとなるだろう・・・。
親爺は久しぶりに村の宮役員の当番から外れたので、この年末年始は家で過ごせる。で、オカカと二人おせち料理もちょっと余
裕をもってやるかと云うことになって、28日の今日から取りかかった。
親爺の作るおせち定番はいくつかあって、結構まめなところもある親爺だ・・・まぁ、食い意地が張っているだけとも言われるが、
とにかく、子持ち鮎の甘露煮、鴨ロース、たこの柔らか煮、キンカンの蜜煮、生麩煮物、田作りなどが親爺のレパートリーになって
いる。黒豆、煮染め、雑煮、ぶりの柚庵焼き、鮭の粕漬けその他等々はオカカのレパートリーで、主に大晦日の年越し蕎麦の後に
つまむ、紅白の手まり寿司(スモークサーモンとしめさばで紅白)は、三人の娘達が小さいときからわいわい言いながら作るのが、
わが家の恒例になっていて、これは小さく切ったラップに酢飯を少し取り、魚を載せ、ピンポン球より少し小振りな形に握るだけなの
で、子供でも、不器用な若い娘達でも簡単にできるのである・・・。
とにかくもう年の瀬も押し詰まり、おせちの準備をするひになったのだなぁ・・・。
親爺のおせち定番、子持ち鮎の甘露煮は鮎を素焼きにするところから始まる。

12/26
昨日は飽きもせず、一日中雪が降っていた。
親爺もオカカも腹をくくって、暖房の効いた一部屋で、うたた寝をしたり、たまに目を覚ませば蜜柑を食ったりして、部屋から出ず
にほぼ一日を過ごした・・・まぁ、流石にオカカはたまに外に出て、玄関先の雪をどけたりしていたようだが、町場の育ちなので親
爺の冬眠術の域にはまだ達していないのだろうから、これは致し方ない・・・。
今日の雪は大したこともないので、買い物に出るそうで、当然親爺も運転手として同行する予定なのだが、せっかく冬眠に入っ
たのだから、せめてもう二、三日はこのものぐさ状態を維持したかったのだが・・・。
閻魔堂の杉木立も真っ白に雪が降り積もった。

12/25
一晩で60cmほど降り積もり、迎えたクリスマスの朝も未だ雪は降り続いている。これはもう根雪になるだろう。
修繕が完了した屋根の融雪装置が、夕べは雪を感知して一晩中ボイラーを焚く音がしていたが、明け方、暖かい夜具の中で目
覚めても除雪車の音を聞くことはななかった・・・が、早起きのオカカの報告では、道はちゃんと除雪されていて、わが家の車庫前
も親爺の若い友人のMoさんが綺麗に除雪してくれたのだろう、除雪車の撥ね置いてゆく雪の固まりも綺麗になくなっていたとの事。
こんな悪天候の日には冬眠よろしく”お籠もり”するに限る。
無駄なエネルギーなど使い、うろうろ戸外の除雪などするのは馬鹿げている・・・。
今日も親爺のずぼら生活の言い訳に好都合な雪降りである。

12/24
もうクリスマスイブになった。山小屋を閉めて、山里に下りて来てから早や2ヶ月も経っている。昨日家に来て馬鹿話をしていった
心平の顔も、少しまるまるとしていたし、親爺に至っては腹回りが布袋様のようだ・・・。
2日ほど前から暇に飽かせてオカカと二人、「男はつらいよ」のDVD見ている。親爺はこの寅さんシリーズの大フアン。学生時代
に過ごした東京でも、友人達とオールナイト5本立て等という場末の劇場でこのシリーズに馴染んだものだ。
48作にも及ぶ作品群は初期のものなどフィルムの劣化が酷かった様だが、最新の技術でデジタル処理されて、DVD化されてお
り、親爺は勿論48作全てを持っている。全編これまで何度も見たが、ちっとも飽きなくて、それはオカカも一緒でこんな雪に降り込
められそうな日はどこへも出かけず、暖かい部屋で「寅さん」の懐かしい時代に浸るに限る。
蜜柑やせんべいでも食べながら、ゴロゴロして、寅さんと一緒に、さくら、博、おいちゃんおばちゃん、みつお、タコ社長、源公や
御前様といった人々の世界に入り込み、馬鹿笑いしている中に嫌な寒波も通り過ぎることだろう・・・。
さてこれから、どれだけ積もる事やら・・・。

12/23
昨年はもうこの時期雪が積もっていた・・・どころか雪下ろしをしている。が、今年の我が山里には雪はない。
天気予報では明日あたりから雪となっているので、少し心配だが去年のようなドカ雪にはならないだろう。
昨日Nさんから「震電」のプラモデルを頂いた。メールで親爺宛に発送したとご連絡を頂いていたので子供の頃のプレゼントを待つ
何やらうきうきした気分を久しぶりに味わった。
そして送られてきた荷物から取り出してみた「震電」は何と予想を遙かに上回る精密モデルで、高級バージョンだった・・・。

箱を開けてみて更にびっくり、その部品点数は半端ではない・・・。しかも組み立て説明図ならぬ組み立て説明書が付属し懇切丁
寧な色刷りの説明が、成る程これは説明書だと頷かせる装丁で、気分をあおっている。素晴らしいキットだ。
Nさんは親爺より遙かにこの道に精通しておられる。「造形村」と云うこのメーカーも親爺は知らなかった・・・。
きっと親爺のもう一人のプラモ友達?Kさんあたりもこのページを見て買いに走るのでは・・・・・

12/22
飛騨路が好きで、何かというとこの方面に足を伸ばす親爺とオカカだが、プリウスという車は本当に燃費がよいのでかなり気軽に
遠出が出来る。親爺のかなり怪しい運転でも、今までの車の倍以上、21km/リッターは走るから楽しい。
で、昨日の午後になって飛騨古川に出かけ、馴染みのお宿「八ッ三館」で思いっきり寛いできた。
このお宿は本当に良い。女将さん、若女将、そしていつもお世話下さるスタッフさん。さりげない気配りが行き届き、快適この上ない
上質な時間を過ごせる。又食事が素晴らしく、完全な個室で庭をながめながら一品一品をゆっくり堪能出来るし、朝食も同じ個室で
ゆっくり頂け、朴歯味噌のうまさと言ったら堪らぬのだ。その上湯も良い・・・とにかく良いことずくめで、それなら気になるのが料金だ
が、これもこのもてなしにこの料金でと、一寸驚く程。
帰路、神原峠あたりはガスで包まれて、路肩には一部雪も残っていたが、気温は6℃もあった。

12/19
どこからか、キーンと云う金属音が聞こえてきそうな程凍てついた快晴の朝だ。
昨日の午後は温泉にたっぷりと浸かりすぎて、湯あたり状態・・・。居間でゴロゴロとずぼら親爺ここにありの情けない姿・・・。
と、そこへ一通の分厚い封書が届いた。親爺、オカカ宛の凄い達筆の表書きにびっくり、差し出し人はFさんである。開封して又
びっくり、何と絵巻物のごとく挿し絵が入る巻紙の手紙、思わず瞠目し拝読。
毛筆の優しい文字で綴られたお便りには、閻魔台や天狗平からの剱の絵が添えられ、Fさんの剱岳への想いが伝わってきた。
親爺の湯あたりもぴたりと治ったのだ。
居間の窓から見える外の景色が眩しい。

12/18
今朝も寒くて、夜具から出るのに気合いを入れなければならなかった。気合いを入れると言ったところで、「ドッコイショ〜」
と声を出すだけで、端から見るとえらく間の抜けた気合いだろう。
山里の土曜日の朝は、北陸特有の鉛色の空の下、雪が舞っている。
寒さがきつくなったので、居間の床暖を入れた。普段は二階の親爺部屋で過ごしている親爺も暖かさに誘われ居間に下り
てきた。床暖房というのは朝鮮半島のオンドルと一緒だから寒冷地では非常に合理的な暖房だが、未だ使い慣れず温度の
設定が上手く行かないようだ・・・。まぁ早い話が燃費ばかり考えて思い切った温度設定が出来ないと言うことなのだが・・・。

12/17
凍てついた朝を避けて、10時を過ぎてから外出した。
今日は金曜日なので長女が帰宅するから、「鍋でもするか」と材料を調達に出たのだが、お昼ちょっと前のスーパーに
は年配者ばかり・・・。どこからこんなにジジババが湧いて出たのだと驚くほど・・・。しっかりその中にとけ込んでいる自分
にも余り驚かなくなってきたが、日本の高齢化もここまで来ているのだと再認識した・・・。
山里の朝はいよいよ寒さが強まってきた。

12/15
今日は久々に山荘組合の集まりがある。
例年の行事だが、ここ数年会合の後、飲みに行かなくなった・・・。もちろん下戸の親爺だからそのあたりの付き合いは
極めて悪く、さっさと帰ってきたものだが、親爺以外の飲んべえ達の話である。
酒席が何よりも嫌いという親爺には如何でも良い話なのだが、妙に気になる。やはり飲んべえ達は寄ると触ると飲みに
行きたがるものでなければ面白くない。最近の若者の酒離れが言われるが、どうも草食男子などと呼ばれる若者の女性
化を見るようで不気味なのだが、我が山の仲間に限ってそれはないから、これは高齢化によるものと判断するしかない。
と、まぁ、自分の下戸を棚上げして言いたいことを言っている。
朝起きて外を見ると雪。寒々とした朝だ。

12/14
朝起きて夜寝るという繰り返しが、何やら非常に早く感じる。
ずぼらを決め込んでいるばかりで、何もこれと言って夢中になっているわけでもなく、比較的ボ〜っとしているのだが・・・。
NHKオンデマンドと云うものを知って、昨日登録し、一ヶ月945円の会費を払ってメンバーになった。
これは良い。昭和の懐かしい映像が好きなように見られ、流石日本で唯一の視聴料を強制徴収する事を許されている
放送局だけあって、その保存されている映像資料は膨大な量に及ぶ。まだ手軽にPCで見るしかない親爺だが素晴らしいと
思う。今朝から「あの人に会いたい」という番組を6本も見た。双葉山、エノケン、金田一京助、吉田茂、本田宗一郎そして
大西良慶。超一流の人々の話には一言一言に重みがあり、内容がある。公共放送局ならではの番組の質だろう。
昨今は、どのチャンネルを捻っても(この言葉は既に死語。どのチャンネルに切り替えてもとすべきか・・・)軽薄な芸人?
の馬鹿馬鹿しい内容のバカ(ラ)エティーばかり・・・という状況から見ると、NHKの良心というか、責任感というか、とにかくそ
んなものを感じる。が、NHKが公共放送であるなら、その膨大な映像資料も又公共のものであるべきではないのだろうか。
月1000円にも満たない会費徴収を言っているのではない。そんなものは当然のことだ。この映像資料の保存管理あるい
はPCを使っての配信にかかる経費は莫大なものであるから当然のこと。親爺が憤慨しているのはその映像資料を利用者が
保存できないことだ。
何も原本をくれなどと云っているのではない。せめて有料配信する公共放送の映像資料は個人で保存できる様にすべき
で、将来的な映像の保存という観点からも、無数にバックアップが取れて良いのではと思うのだが・・・。著作権云々の話が
出るなら、そもそも公共の資金を以て作成された番組映像の著作権など認める方が変だ。NHKの持っている映像資料全て
は、等しく国民の共有するものだと思うのだが・・・。
とか何とか言っている親爺だが実はこの後、どの番組を見ようかと、密かに楽しみにしているのだ・・・。
親爺の頭の中と一緒、ガスが渦巻く不動山。

12/11
師走ももう半ばにさしかかった。
時の移ろいの早さは、重ねる齢に比例して速度を加えるものらしい。何せ振り返って見る過去の時間は延び、前方に残さ
れた時は減り続けているのだから・・・。
無造作に本棚の引き出しに押し込んであった、いつのものとも知れ写真やらネガを整理していると、蓄積され、増え続けて
いる過去の映像の断片が突然、忘れていたことを鮮やかに蘇らせ、驚かせる。
慌ただしい師走にこんな悠長なことをしている親爺が先ず驚きなのだが・・・。
大日が閻魔堂の杉木立の向こうに綺麗に見える。

12/10
気付くともう4日間、更新をサボっている。
これと云って変わったこともなく、平穏無事な日々が、ずぼら親爺にふさわしく流れていたのだ。
DVDを借りてきてオカカと見始めると1日に3本以上も見てしまう。1本が約90分として270分、4時間半もテレビにかじり
ついている計算だが、たまにはニュースなども見るので何と1日にテレビを見て過ごす時間の長さは5〜6時間にもなりそう
で、驚いてしまった。
その上昨日は映画館に出かけ、「武士の家計簿」という映画を見てきた。加賀藩を舞台にした映画で、我が山里は越中に
有りながら、加賀藩の天領だったので、殊更見たかったからだ。
オカカと二人で「シニアカップル割引」とかで、二千円だから学割より安く見られるのだ。しかも平日は全席の三割も入れば
大入り満員という劇場だから、ゆったりと見られる。
作品は、時代考証等という以前に、若い役者の台詞の言い回しが耳障りだし、方言に至っては元から無視・・・。
松坂慶子や、中村雅俊が爺さんばあさん役ではまっていたのと、おばばさま役の草笛光子の存在感は有るのだが、あまり
にも現代的で綺麗過ぎるおばばさま振りが可笑しかった。
扱っているテーマが地味だったからか、一寸期待はずれな映画で、作りは「たそがれ清兵衛」のパクリで、しかしその出来は
遠く及ばぬと言ったら言い過ぎか・・・。
遅い初雪の降った山里で、今朝から親爺はストーブの番人をしている。

12/5
師走の休日です。
のどかな小春日和で、収穫の終わった田んぼまで何やら青々と芽吹いているのが不思議です。
のどかな青空に立山の峰々が白く聳え、荘厳です。

12/3
薄暗い朝で雨も降っている。師走としては寒いと云うほどのこともないがストーブは欠かせない。
今日はオカカが手術を受ける・・・と言っても右手バネ指の手術で、15分ほどで終わるといったもの。ただし術後、1週間
は水仕事が出来ないので、二人暮らしでは当然水仕事が親爺に回ってくる・・・。致仕方あるまい。
昭和博物館の展示は主におもちゃなのだが、生活用品などもあり、それらに混じって古い、前革金具のスキーがあった。
前革は取れていたが、この金具に間違いない。恐らく手作りのスキーであろう。

12/2
オカカと親爺はプリウスにはまっている。
もちろん新車だからの話だし、前のリバティーの時もずいぶん面白く乗り回した。
が、今回のプリウスという車は、何か今までの車とは大きく違って、正直面食らうことばかり・・・。
先ずキーが違う。キーとは差し込んで捻ってエンジンを始動する鍵だという常識が通じない。運転者が持っているだけで
良いのだ。ドアも運転者が持っている(ポケットに入れている)と、取っ手に触るだけで解錠、施錠となり、エンジンの始動
も始動ボタンを押すだけ・・・いや、この車にはエンジンの始動という概念すら通じず、発信準備が可能になると言う方が適
切だろう・・・。で、それでは運転しにくいかと言うとそうではない。通常の車と何ら変わることなく、楽に運転できる。強いて言
うなら静かなのと、下りでのエンジンブレーキ操作がきわめて楽な事。(これで登りでロスしたエネルギーを回収するという
合理的なシステムなのだから、一石二鳥。)
とにかく走っていて楽しい車である。
オカカと二人プリウスで訪ねたのは能登和倉。そこの昭和博物館がとても面白かったのだ。

オカカも親爺もこの時代に育っているから、懐かしくて・・・。

この駄菓子屋でも親爺の目を引くのはグライダーやヒコーキばかり・・・。

12/1
昨日は久しぶりに掛かり付けの病院で診断を受けてきた。
酷く太ってメタボリックシンドロームの標本状態なので、かなり覚悟を決めての受診だったが、まあ、予想通りというか、立派
なメタボで、生活習慣の改善を痛感してきた。何せたばこを止めて11kgほども太ったのだから、この目方で息切れする日々だ。
宮城にお住まいのFさんから大量の生サンマを送って頂き、感激。宮城県は次女が東北大にいたのでオカカと二人良く通っ
たもので、非常になじみ深い。Fさん本当に有難う御座いました。
添えられた達筆のお手紙にあったとおり、霜月最後の日に、秋の太平洋の恵みを、「名残のサンマ」と心して頂いた。
今年は時期がずれたサンマだそうだが、鮮度が良く美味かった事この上なし。
オカカも大喜びだった。

11/30
立山アルペンルートが営業期間を延ばし始めたのはいつ頃からだったろうか?
昨夜も無人の剱御前小舎付近で救助要請があったと聞いて心配していたが、今朝防災ヘリで救助されたと知って一安心。
しかし単独で、昨日のような天気に行動するとは無謀な登山者だと思っていたが、今朝10時頃某新聞社から電話で、立山
で雪崩事故発生と言う事で、取材電話が入った。
親爺には寝耳に水の話で、「剱御前小舎はとっくに閉鎖したから、立山の状況は分からない。」と電話を切ったのだが、その
後テレビで大谷の雪崩事故発生を知った。
で、いろいろ調べてみると立山アルペンルートは本日まで営業し、25日に室堂周辺の小屋が閉鎖し、警備隊も下山した後、
まあ僅か数日だが、まだ営業を続けている事を思い出した。
なるほどと合点がいった。
立山アルペンルートは大がかりな機械力の導入で、この時期でも運営可能な事は確かだ。
室堂ターミナルのホテルも、弥陀ヶ原のホテルもまだ営業をしている。
だから観光客も、登山者も、スキーヤーも、ボーダーも室堂までは気軽に入れる・・・。
このルート上なら心配する程の危険はなく、素晴らしい立山を気軽に体験できる事は確かだ。
しかし、一歩このアルペンルートの外へ踏み出せばそこにはどんな保証も無く、命の保証とて無いのは大自然の掟だ。
立山一帯の山小屋も閉鎖し、山慣れた人々すら下界に下りる時期の立山は、決して甘くはない。
立山アルペンルートの大がかりな機械力を導入した手厚い保護が得られるのは、このルート上のみでの事。
そこから一歩でも外へ踏み出せば、立山の自然は容赦しない。
その事を忘れているから、こんな事故が起きるのだ。
こんな美しい立山連峰だが・・・・・。

11/29
寒い朝で、オカカは一生懸命酒類販売の帳簿を整理していて、親爺は朝から自動車保険の解約でトラブっている。
親爺もかなり短気な方だが、長年の顧客がいくら解約を申し出たとしても、その不快さを顧客に返すなど言語道断!!
解約するにはそれなりの顧客の理由があるのだ。今回の解約理由はより信頼できる代理店が身近に見つかったから
である。この一件でその理由が正しかったとよく分かった。
でも、こんなボンネットバスのペーパークラフトを見ていると腹の立ったのも忘れてしまう・・・。

オカカの新車はプリウス。思い切ってこの色を選んだのは親爺だ。燃費が良いというのは良いことだが、さてその燃費の
回収には何年かかることやら。まぁ最低8年くらいは乗るつもり・・・。寒冷地仕様で至れり尽くせりだ。

11/27
写真の整理にかかり切りになるわけにも行かず、何やらうろうろ落ち着きのない親爺だが、1980年の小屋開けの写真が
かなり良い状態のスライドフィルムで出てきた。
装備を見れば年代ものだが、右からシマチャン、親爺、サナエ、カマジの懐かしい面々。
後ろは大日で、室堂乗越の上部を登っている。
今は皆ばらばらだが、年賀状やメールのやりとりはまだ続いている。
もう平均年齢は軽く五十を超えている・・・・。この頃は最年長の親爺ですらまだ二十八歳・・・もう30年前の写真か・・・。

これもその頃の小屋開けで撮った写真。
何と剣岳上空を飛ぶ「赤とんぼ」93式中連である・・・・・・・・・。

11/25
立山アルペンルートも本日で終了。立山はいよいよ本格的な冬眠に入る。
山岳警備隊も最後の最後までお騒がせ登山者の救助活動が続いたが、午後下りて来て親爺宅に立ち寄ってくれた。
いやいや本当にご苦労様。
大川寺あたりからの立山連峰の遠望

11/24
いよいよ寒くなってきて、今朝はベッドから出るのが嫌なくらいだった。
天気は良く朝日も射してまぶしいが、いかんせん寒い。

11/23
この写真はオカカが撮ってきた。
ゴミを捨てに出たら、側にある不動尊の祠にもみじが降り敷いてあまりにも綺麗だったから、家までわざわざカメラを
取りに戻って撮ってきたのだそうだ。
オカカも新しいカメラを買って、それが親爺と一緒のLumixの新しいタイプなのだが値段は親爺のカメラより遙かに安
かったのに、光学ズームは12倍もあるので、使いやすい。
でも親爺には一寸使いにくい機能が多すぎて、オカカももちろんそんな機能は使っていない・・・。

11/22
オカカと出かけた本屋で、面白いものを見つけ買い込んだ。
少年倶楽部、昭和七年新年号の紙製組立付録「軍艦三笠」の復刻版である。
版元の講談社は78年前のこの組立付録の原版を完全保存していたとのこと。
実は親爺はこの復刻版を既に持っていて、それは今回の組立付録だけの復刻ではなく、昭和七年の1月号から
12月号までの少年誌本体の復刻版が発売された時に、唯一の組立付録として復刻された同じ原板のものである。
もちろんもったいなくて組立など出来ないと思って、未だにビニール袋から出してもいないが、これは一つは組み立
てて見ても良さそうだ・・・等と思っている・・・。
親爺の世代はこの付録自体は知らないが、戦後の少年月刊誌紙製組立付録には心躍らせたものだ。
まぁ当時の組立付録など本当に子供だましで、何時も期待を裏切られる代物ばかりだったが、当時の子供はウブ
だったから、あっさりと次の号の付録に騙されて、いじらしい程にまた心躍らせるのであった・・・。
そんな中、この付録は実にしっかりしたもので、戦前戦後を通じ最高傑作と云われた。

11/20
夕べ寝しなに風邪薬を飲んで寝たせいか、朝から胃が重くむかむかして飯が食えない。
口の中が荒れて痛いし、やはり少し風邪気味なのだろう。
で、あまり何もせず、オカカと買い物にだけ行って、レンタルDVDを借りてきて、午後3時間ほどDVDを見て過ごした。
寝たり起きたりのような見方で・・・。
夕刻になって外を見ると夕闇の中、大日の真上に月が出て綺麗だった。

11/19
快晴だが寒い朝、冬が近いことを思うとため息が出る。
これから年末に入って行くのだが、親爺はもう何やら慌ただしい。
大した用でもないのだが、普段がお気楽すぎるから・・・。
朝日に光る大日はもう真っ白。
一昨日の携帯の写真だが、雄山も真っ白だ。
11/18
寒い朝で、あまり懐かしくもない冬将軍の爺様が、そこまでやってきているのがよく分かる。
まだ慌てなくても良いのに年を食っているものだから、この爺様はやたら慌てるのだ。
おかげで、親爺は朝一番にストーブに火を入れないと安心できなくなってきた。
朝日の差し込む親爺部屋で、暖かく燃えるストーブ。冬の友である。

窓外には大日が見えるが、この寒さでは窓を開けたくない・・・。

11/16
何やら更新が一日おき、それもかろうじてという有様になっているが、所用が続き、大阪に行っていたのだ。
親爺が大阪城を間近に見たのは初めて。復元した城とは云え見事だと思った。

朝は大阪で目覚めたが、所用はすべて昨晩に終えていたので後は山里へ帰ってくるばかりだったのだが、まっすぐに帰ら
ないと云う、親爺オカカ共通の癖が出て、古い車で、古いナビを使ってあちこち走り回るものだから、間違えて中国自動車道
に入ってしまい、宝塚で下りて下道を京都へ向かうという様な、馬鹿な事ばかり繰り返してへとへとになってしまった。
何故下道(一般道)ばかり通ったかと云うと、ナビが古くてめまぐるしく工事が進んでいる高速道路の案内が不確かだから
で、決して高速道路料金をけちった訳では・・・。が、おかげで美山に迷い込み、結構綺麗な紅葉街道を堪能し満足した。

11/14
午後になって穏やかな青空が広がり始めた。
何やらばたばたしていて、床屋へも行かず、ひげも剃らずにいたらオカカに叱られた。
「何それ汚いねぇ。浮浪者みたいだよ!」とズ〜ッと一緒にいたくせに、今更気づいたように攻撃が始まり、昼風呂へ
放り込まれた・・・。まぁ、何時ものことでだが。
で、ひげも剃って、シャンプーの後に使ったヘヤーコンディショナーを洗い流すのを忘れて風呂から上がってしまい、
でも面倒だからそのままにしている。髪がさらさらして、却って良いような気もするが普段この手のものは使ったことがな
いので、たまに使うとこんなものだ。
黄金埋蔵伝説の残る鍬崎山。

11/13
天気予報は晴れだが、何やら変な曇り空。
半世紀以上前の写真を見つけ、スキャナーで引き延ばしてみたら、何と懐かしい顔がずらり。
原板が35mmのベタ焼きのようなサイズで、しかもかなり痛んでいたので、こんな状態だが、日産のトラックの前での
集合写真だ。
幸か不幸か親爺は写ってないが、子供の頃の面影は皆残っていて、誰だとすぐに分かる。
昨日のことも覚えてないのに半世紀以上前の顔を忘れていない。にんげんとは不思議なものだ。

11/11
安房トンネルを通り松本に来ているが、標高が1000mを超える安房トンネルあたりは雪も早い。
昨日もちらちら雪模様。奥飛騨温泉につかりながらの雪見なら良いが、この雪道を車の運転となると大変だ。
何度か通っている地理感のある人ならともかく、物見遊山に遠方からくる、特に雪のあまり降らない地域から来る
人は備えもない。で、往生する・・・。
その点親爺は準備万端、何しろほぼ一年中、たとえ8月の盛夏でも雪を見る生活なのだから・・・?
奥飛騨温泉郷あたりの昨日の雪模様・・・。

が、今朝の松本は快晴。今日は東方航空に挨拶に行くつもりだが、スノータイヤ履きのオンボロ4WDライトバンは、晴天下
の市街地を走るにはあまり向かない・・・。
今朝の松本市は快晴。

11/9
霰に降られ、自分の頭頂部の薄くなったことを自覚する。突然降られたので数発は無防備なお皿に喰らった。
オカカと二人毎日気ままに生活していて、予定とか約束とか、時間に縛られることを極力避けて日々を送って
いるので、すべてが行き当たりばったり。
今日も天気が良くはないのだが、高曇りの空からたまに日も射すので、のこのこと称名まで出かけた。
とっくに紅葉の盛りが過ぎているが、まだ「悪城の壁:アクシロノカベ」あたりはそれなりに見られる。
桂台上流の紅葉。

悪城の壁もまだ錦秋の名残を留める。

荒谷上流の大辻山から伸びる稜線の紅葉が今盛り。荒谷橋から。

11/8
親爺は見かけ倒しで酒が飲めない。
飲めないのでいわゆる酒席が大嫌い。
まぁ、元々が群れ集まるのが苦手で、人混みも得意ではないのだ。
でも昨日はネパールからのお客様、クムジュンスクールのカセット校長の通訳を兼ねていたので、久々に
記念式典やらパーティーに出席した。おかげでずいぶん懐かしい顔にもあったが、でも疲れた(本音)ので、
第1部だけで役目を終え、早々に引き上げてきた。
ただ、カセット校長とは個人的な付き合いもあるので、明日はどっかで夕食でも食おうと思っている。

11/7
山から下りて一ヶ月も経つと、親爺のずぼらもだんだん磨きがかかってきて、先ずその姿形から何やら浮腫んだ様
なざまになってくる。
昨日も天気が良かったからよせばいいのにオカカの留守を良いことにラジコン飛行機のテストフライト・・・。
で、折角一生懸命組み立てたF86セイバーは離陸(手投げ)に二度失敗、天かける事無くついに入院中・・・などと
情けないことばかりしている。
まあ本人は他にも一生懸命何やらせっせとやっているつもりなのだが、その何やらがこのHP用の古い写真の整理
なのであまり一般社会に関わりも無く、まぁ、浮世離れしたお遊びのようなものなのかなぁ・・・・・。
でも現在爺様(父)の写真整理中で、何やらいろいろと思い出して、頭のトレーニングになるような気もしている・・・。

不動山が色付いて見事!

11/5
古い写真を整理していると、無くしたことも忘れていた写真が出てきて驚く。そしてその写真から又記憶が蘇る。
1979年のゴーキョピーク山頂の写真の一枚だ。
親爺の記念すべき初ヒマラヤ・・・27歳の親爺・・・あれから31年、と、綾小路きみまろになってしまう・・・。
今はとてもにポピュラーになったゴーキョピークだが、ゴジュンバ氷河のモレーンを超えるルートで、あの頃はまだ
トレッカーも殆ど居なかった。
上市峰窓会という地元山岳会がチョーオユ遠征を計画した時に、親爺が撮影していその折の8mmフィルムを借り
に来たりしたものだ。このフィルムにはゴーキョピーク山頂からのゴジュンバ氷河の様子も映っていたのだ。
参考になったかどうかは分からないが、今と違って本当に情報の少ない時代だった・・・。
親爺の写真整理はまだまだ続く・・・・・・・・。

11/4
久々の良い天気になりました。今まだストーブを焚いておりますが、だんだん暖かくなって来そうです。
しばらく見なかった青空ですので、非常にすがすがしく、不動山の紅葉もひときわ綺麗に見えます。
不動山の紅葉はまだ8分といったところですし、その奥の大日の雪景色もまだらです。

目で見るほどの色はなかなか出ませんが、かなり色付いて居る不動山です。

ついでに昨日の大日の夕映えです。

11/3
朝からガスと小雨で寒い。この秋は小屋閉めしてからこっち、こんな天気ばかりで、あまり外にも出ないのでますます
運動不足になってしまう。
昨日はオカカに尻をたたかれ買い物のお手伝い、一寸回り道をして雪衣を纏った鍬崎山を撮ったが・・・と、まぁ、次
のような写真しか撮れないので、いやになってくる。その上雨風だ・・・。
で、数日前から思い立って「親子3代山暮らし」のページを中心にHPのリフォームに取りかかった。
でもこれは膨大な写真整理が難しい。
まだかなり時間がかかりそう・・・。
旧大山町岡田地区から常願寺川と鍬崎山を望む。

11/1
霜月に入った。
昨夜竹ちゃんから又メールで昨日の剱御前小舎の様子を写した写真を送ってきた。
竹ちゃんは30を一寸過ぎた歳で、今が盛り。馬鹿みたいに強い。今夏も、馬場島〜早月小屋〜剱岳山頂〜早月小屋
〜馬場島と凄まじい勢いで日帰りして、その後立山アルペンルートで室堂に再入山、剱御前小舎に駆け上がって来た。
「剱御前小舎に来るがに、何でわざわざ馬場島へ下りて来たんよ?そのまま剱の頂上から来りゃ良いかろうがい。」と
親爺に言われて、「いや、別山尾根って下りが危ないでしょう。だから、馬場島へ下りたんだけど・・・。」とは、けだし迷言・・・。
体力が有り余っているのだろう・・・。傍らでその話を聞いていた元祖居候の森さん曰く「あほじゃ、こいつは・・・。」まぁ、あほ
は親爺も森さんも竹ちゃんに負けなかったのだが・・・・・。
10月最終日の剱御前小舎前からの剱岳、剱沢。

小屋閉め後11目の剱御前小舎裏側。まだ雪は僅か。例年春先には、この部分は屋根まで雪に覆われる。

10/31
いよいよ10月も今日まで。山里の天気も全くすっきりしないまま・・・。
竹ちゃんから突然メールが届いて、現在剱御前小舎の前とのこと。そういえばこの前家へ来たときそんなことを言って
いた様だ。添付された写真を見て、小屋閉め後の剱御前小舎に全く異常なしを確認した。
まだ雪は少ないが、何やら妙に懐かしい風景に思えるからおかしなものだ・・・。
来春4月には又小屋開けだが、その頃は雪に埋もれているであろう・・・。

10/30
高曇りだが今朝は視界が良く利いていて、少し色づいた不動山の奥に僅かに冠雪した大日が見える。
神無月もあと2日。小屋を閉めてもう10日も経った。
昨夕心平が顔を出して、いろいろと話し込んでいったがすっかり垢抜け(山抜け?)して若旦那風の穏やかな顔になって
いた。心なしか顔に丸みが戻ったようだ。山ではげっそりしていたから。
親爺部屋から見る大日の冠雪。

10/29
今HP更新中だが、日が射してきた。
明後日には台風の影響が出そうだから、この日射しも瞬時のものかも知れぬが、日の光とは暖かいものだ。
昨日から山里を覆っていたガスが切れ、礼拝山が見えてきた。

2日ほど続けてラジコンのF86セイバーの写真を載せたら、早速京都のOさんからメールを頂いた。この方はラジコン
クラブに所属される方。剱御前小舎のHPをご覧下さっている皆さんは、実に多士済々、プラモが好きなKさん、Nさんや
刀が大好きなTさん、Yさんや旅や食べ物に目のないHくん・・・等々・・・だから親爺は嬉しくなって、ついついこんな写真
ばかり載せて、又この世界にものめり込みそうだ・・・。
実に手軽になったラジコン電動飛行機。
驚くほどかんたんに良く飛ぶ。しかもプリンターの上にディスプレーできるサイズだなんて・・・。

10/28
今朝もガスに包まれた山里だ。去年と比べると、10月後半の天気が悪いようだ・・・。
今日は午前中に親爺が所持している猟銃の保管状態を確認する、立ち入り検査が行われる。
もちろん所轄の警察署から担当警察官と、検査するものがものだけに顔なじみの交番の駐在さんも同行する。
数年前までは個人宅への立ち入り検査など無かったが、猟銃を使った馬鹿げた事件が相次いで、警察もやむを得なく
なったのだろう。
銃は凶器だと毛嫌いする方の気持ちは分からなくもないが、銃も又道具である。使い方を誤らなければ自動車とさして
変わらない。ただ、自動車は運搬具、銃は殺傷具であることは明らかだ。
運搬具は必要だから多少の危険性は我慢するが、殺傷具は禍々しい殺傷を目的とする不要な道具だ・・・とは割り切れ
ない。昨今の熊騒動、猿騒動・・・。人間など野生動物の前に素手で立ち向かうようには出来ていない。だから殺傷具も、
自らの生命を守るためには必要な場合もある事を忘れてはいけない。
それは国単位でも同じ。大国風を吹かせ暴力と、唯我独尊的理論のみを振り回す隣国や、もっと怖い犯罪国家などと
呼ばれても平気な面の皮の隣国に取り巻かれている日本で、殺傷具(武器:軍隊)を持たずガンジーを決め込むなど怖く
て出来るものではない。
と話はそれてしまったが、親爺は今シーズンの猟期は登録せず、休猟の予定。
寂しい話だが、本当にここ数年「狩りの血」が騒がなくなって出猟回数も激減してしまった・・・。そろそろ潮時かなぁ・・・。

これは前述の内容とは全く関係ない親爺の趣味の話だが、最近こんな素晴らしいものを手に入れた。
現在では絶版の1/48旧陸軍97式戦闘機のハセガワのプラモだ。ネットオークションで1000円。親爺大満足!!

でも、今こつこつと作っているのはこれ。F86セイバーのラジコン模型だ・・・何とも気の多い親爺だ。

10/27
室堂で積雪5cm。遅い初雪だが、剱御前小舎では5日の夕刻から初雪が降った。
山里も一気に冷え込んで、この冷え方は秋のさわやかな涼気ではない。
冬もすぐそこまで来ているようだ。
朝日のまぶしい朝だったが、もう青空は僅か。張り詰めたような寒さばかりが感じられる大気だ。
又久しく忘れていたあの白いやつが来るのか・・・まだしばらく時はあるだろうが。
色づいてきた不動山を背景に、市っちゃんの家の薪ストーブが煙を上げ始めた。寒い山里の朝だ。

10/26
山里は寒い。氷雨寸前の雨が降り続いて、親爺も剱御前小舎にいるのかと錯覚しそうだ。
閻魔堂の木立もなにやら煙って見えて、秋の山里は冬の足音がしている。

親爺は久々にラジコン飛行機をいじくりだして、当然のことのように飛行機共々車庫裏の親爺部屋に追い払われた。
ストーブに日を入れ、PCも無線LANで繋がるようにし、親爺はお籠もり状態・・・。

通販で取り寄せた電動DF(ダクテッドファン:円筒形のダクトの中にプロペラ状のファンを組み込んで推力を発生させる
装置で、ラジコンの飛行機ではジェット機のスケールモデルなどに使われることが多い。動力として内燃機関の模型エン
ジンを組み込んだ場合構造も結構複雑で特に取り扱いが難しくなるが、動力を電動モーターに置き換える事で取り扱いが
楽になり、現在では非常にポピュラーな推進装置として普及している。早い話が、雑な親爺でも取り扱える・・・。)F86セイ
バーを組み立てにかかっている。
一昔前の非力な電動飛行機は過去の話。今やエンジン機でさえ難しかったDF機を電動で楽に飛ばせる時代になった。
モーターや、特にバッテリーの格段の進歩が凄まじい・・・。
ちょっと写真が悪いけど、半完成で、DFユニットやモーター、サーボやバッテリーまで付属したこの機体が、送料込みで
1万円を切る・・・。レシーバーと送信機はいくつも持っているのでこれで電動DF機が完成する。
一昔前ならおそらく数倍以上の値段だったはず。ラジコンも身近になったものだ。

10/25
あっという間の2日間・・・。親爺はずぼらを決め込んでボ〜っとしていたが、世の中は月曜日、週末帰宅していた娘も早朝に出勤
して行った。
その娘の後ろ姿を見て、親爺もせめてHPの更新でもしなくてはと慌てたのだった。
が、HPに乗せたいような出来事など何にもない。ただボ〜っとしていたのだから・・・。で、又部屋からの写真でもと窓を開けたら、
戸外はガスに包まれ、不動山さえ見えない・・・。しかも小雨。

心平の風邪を森さんがうつされ、その森さんの風邪を親爺とオカカが拾ったようだ。
親爺は鼻水と頭痛。オカカも頭痛・・・。完全修復された布橋だが、熊騒動でうかつに散歩も出来ない。

10/22
昨夜の打上もわいわいがやがや和やかに騒がしく終わり、落語の若旦那と与太郎の心平とサンゲだった。
が、今朝も元気な皆だった。心平に至っては朝から四杯の飯を平らげた・・・サンゲとミッチャンもすこぶるご機嫌!

加藤さんとアラフォー大学生?のトモちゃんも、 ついでにオカカと森さんも元気!

緑と四杯飯の心平ももちろん元気、 親爺もそれなりに元気なのだ。

朝から飯を四杯おかわりできるまでに回復した心平の、有峰林道経由で帰りたいとのリクエストに親爺もつきあう。
が、さすがに疲れた・・・。でも今年二度目の祐延ダムは相変わらずきれいだった。
ネパール研修生第1回生のサンゲももう42歳。あの頃はまだ25歳くらいだったが随分時の流れは速い。
サンゲの先生だった親爺があの頃は今のサンゲの歳だった・・・。

盛りを過ぎた祐延の紅葉だが、まだきれいだ。

10/21
剱御前小舎を閉め・・・ 皆山から下りてきた。

親爺もオカカも合流し、

宿の女将さんが早速記念写真を撮って下さる。

いよいよ楽しみにしていた打ち上げだ。

すっきりして落語に出てくる馬鹿旦那風の心平と、うれしそうに冷酒のお酌を受ける緑・・・力関係はこのまま・・・

八ッ三館のご主人の飛騨古川案内の名調子を聴きながら、宴?は和やかに(騒々しく)盛り上がった・・・。

2010年10月20日
心平も何とか風邪が治まり、明日は予定通り皆下山できる。
親爺も室堂までで迎えに行こう。
さっき剱御前小舎に電話したら緑が出た。心なしかその声も華やいで聞こえたが、やはり明日の下山は嬉しいのだろう。
緑は厨房責任者(兼裏支配人)で、今シーズンはお客様が多く本当に大変だった。全く心休まらなかった日々だったはずだ
し心平ももちろん責任感が強く、手を抜くことを知らない男だから最後まで大奮闘、やせてしまったくらいだ・・・。
この若夫婦に支えられてこそ、親爺は何とか剱御前小舎を経営してゆけるのだ。
この夫婦は今我が芦峅寺の住人になっていて、家は親爺宅から徒歩数分、というより数軒となりといった方がよい近所
に住んでいる。
だから、親爺とオカカは下界にいてもこの若い夫婦をすっかり頼りにしていて、事あるごとに電話をしては助けてもらっている。
つまり、下界での生活まで面倒をかけているのだった・・・。
小屋閉め直前の剱御前小舎。明日は皆ここから下りてくる。

2010年10月19日
昨日オカカと家へ帰ったが、家に着いてから玄関の鍵を持って出ていないことに気づいて大騒ぎ・・・つまり、親爺たちが
家を出た土曜日に、休日で帰宅していた長女に家の鍵を渡し、戸締まりを頼んでスペアの鍵を持って出たはずが、親爺に
似てちょっとぼけ気味のオカカがその鍵を家においたまま出てしまっていたのだ。
なぁに長女のすることだ、きっとどこか一カ所くらい鍵を忘れているだろうと高をくくっていたが、長女の勤務先は富山県警。
さすが鍛えられて、びっしりと戸締まりし、隙がない・・・「う〜ん、あいつも成長してしっかりしたな。」等と親ばかちゃんりんで
感心してばかりもいられない・・・家へ入れないのだ。「去年までの家ならどこからでも入れたが・・・」と、リフォーム前の家を
懐かしんでもいられない・・・とにかく家へ入れないし、鍵は長女が勤務先まで持って行ってしまっているのだ。
仕方なく家の向かいの車庫の親爺部屋に落ち着く。この鍵は車の中に入れてあるので忘れようがない。
まぁ最後にはいろいろと手を尽くし、解錠し家へ入れたのだが、その方法は防犯上ここに書くわけに行かない・・・・・。
根来寺で庭園鑑賞しているオカカ。この時は家の鍵など思ってもいない。親爺も根来寺の行者堂の行者様に思いをはせ
鍵のことなど思いもしない。

2010年10月18日
更新を2日サボったが、実は親爺パッサンとアンヌルを関西空港まで見送りに行っていたのだ。
オカカと二人で、既に17万キロを走っている愛車リバティーを駆って・・・。車もロートルなら、ドライバーもロートル、親爺と
オカカ交代でハンドルを握る。で、りんくうタウンのホテルで一泊し、二人を見送った。
二人とも元気で帰国の途についた。

で、親爺とオカカは、このまま帰るのはもったいないと、高野山参りを画策。途中根来寺の看板をみて、こっちも是非と
こちらにまず足を伸ばした。根来衆、雑賀衆の往事に思いをはせた。

豊臣秀吉に最後は焼き討ちされ壊滅状態となった歴史を持つ根来寺、我が芦峅寺の立山中宮寺と全く同じだ。
そんなことを考えると親爺も感慨ひとしお・・・。

が、初めて訪れた高野山は完全な観光地・・・?日曜日と相まってとても落ち着いてお参りできる状況ではなかった・・・。
這々の体で脱出・・・が、この時親爺の悪い癖で、橋本市に抜ける国道371号線を通ったのだ。山道林道には自信のある
親爺も正直ちょっと参った・・・こんな道がまだあったのだ。地方の道路はもう十分などと言った政治家にここを運転させて
みたい。ようやく脱出して琵琶湖畔の紅鮎というお宿に投宿。
琵琶湖の夕日を眺めながらの露天風呂。おいしい食事。大満足で旅の疲れを落とした。

2010年10月15日
剱御前小舎も後5日で閉める。今シーズンもいよいよ終わるのだ。
実に天候に恵まれ、おそらくここ20年では最高の入れ込みがあった今シーズンの剱御前小舎で、宿帳を見て親爺も驚い
ている。
お客様に愛され親しまれてこその山小屋だ。親爺も心平支配人も緑裏支配人もそのことを今しみじみと再確認している。
と、「良い年もあれば悪い年もある。気を緩めたらだめ。堅実に!」とは天の声。
この天の声どうしてもオカカの声にしか聞こえぬのだが、ヤマノカミと云う異名を持つオカカだからそれも仕方ないか・・・。
で、つまり、その、何だ・・・未だにオカカに尻をたたかれ続けている親爺であった・・・。
まだ9月半ばの様な昨日の剱御前小舎。

2010年10月14日
今親爺は下界なので、HPに掲載する写真は毎日心平がe−mailに添付して送ってくれる。
携帯電話で撮影するのであまりいい写真は期待できないが、それでもかなり良い写真もある。
携帯電話のおまけだと思っていたカメラがずいぶん高性能になってきて、一昔前のデジタルカメラなんて問題になら
無いほど良く写るようになった。
でもやはり、親爺自慢の高いコンパクトカメラ?で写す写真は、携帯のそれよりまだ幾らかはよいようだ・・・。
親爺には非常に懐かしい祐延ダム監視小屋?30年も昔この側で幕営し、イワナの燻製(焼乾し)作りを叔父に教わった。

2010年10月13日
どうも最近登山ブームが起きているのかなと少しうれしい想いも抱いていたのだが、無謀な登山者が多すぎる。
山小屋への到着が遅いのは既に「早出、早着」の基本的ルールを知らないから・・・?
「剱に初めて登るのですが・・・」という問い合わせや相談も多くあるが、こんな相談をしてくれる方はこちらで説明すれば
剱がかなり危険な山だと云うことを分かってくれる。分かってはくれるが・・・が、それでも行くというならお好きなようにと言
う他はないのだから、こんな問答でエネルギーを使うのは馬鹿馬鹿しい・・・。
と、思うのだが、親爺の遺伝子がそうさせるのか、悲惨な遭難を見過ぎているからか、すんなりとは割り切れず、大きな
お世話だと逆ねじを食うほど、お節介を焼いてしまう・・・。で、親爺が切れてしまう場面も再三。
「わるみたいなしろうとに登れる山じゃないじゃ、命おしけりゃおかんかいばかもん!!」
これが親爺の本音。芦峅弁で聞こえは凄まじく悪いだろうが、間違えたことは言っていない。
剱は本で読んで、ちょっとトレーニングして登れるほど甘い山ではない。その辺のハイキングと同等に考えてはいけない。
10回登れば10回の全く別の顔の剱がある。特にこの時期以降の剱など冬の剱と考えなければならない。
その時期さえ考慮できないのに、剱へ登るなど言語道断!
あ〜あ。こんな文章を書いて親爺又お節介を焼いている・・・無駄なエネルギーの消費は今や体に毒な歳なので止めよう・・・
穏やかそうに見える剱だが、騙されてはいけない・・・・・あ〜あ、まだ言っている・・・。

2010年10月12日
今年初めて有峰を訪れてみた。まださすがに有峰は紅葉も若かった。

が、祐延は今が紅葉真っ盛りで、きれいだった。

親爺には思い出深い祐延ダムである。

2010年10月11日
剱御前小舎は快晴の朝を迎えているが、山里は不動山にまで霞がかかる朝だった。
今9時直前、ようやく日が差して青空が広がり始めた。
もう下山してから5日もたつがそのうち2日は室堂に入っていたので、まだ山にいるような気分で、下界は下界で何やら
結構用事があってばたばたしている。今日もちょっと挨拶回りで、岐阜方面に足を伸ばす予定。
で、下界でおかかがのっている車がもう8年乗って、17万キロも走ったのでやっぱりちょっと調子が悪くなってきた。遠出
の多い親爺とオカカだが、この車にはずいぶん乗ったものだ。
リバティーは良い車でした。8年前、まだ新車の頃。

「車は走れば良い」と言う親爺だが(オカカも一緒)さすがに買い換えをせざるを得ない状況・・・で、今はやりのエコカー
とかに乗り換えようかと、プリウスなどを考えているが、高いもんだね・・・・・・いざ買おうと思ってもこれじゃ踏ん切りがつか
ねえや・・・。と、貧乏性丸出しの親爺だ。まぁカーローンでも組んで頑張るしかあるまい・・・。
こんな車ならすぐ買えるのだけれど。

2010年10月10日
今朝は何とか6時までベッドにいた。でも5時半前から目は覚めていた。
寝しなに本を読むのは親爺の習慣だが、最近その時間がすこぶる短くなってきた。甚だしいときは一ページも読めず
寝てしまうこともある・・・・
若いときはあまり好まなかった「時代劇」を読むようになったのは果たして何歳の頃からだろう。最近は好んで時代劇
を読む。
池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎など非常にポピュラーな作家はもちろん、津本陽や、最近は山本一力なども好ん
で読む。
一昨日買ってきた藤沢周平作品だが、どうやら何冊かは重複買いしているかも知れぬ・・・。
親爺の読書の日々はこれからが本番・・・?

2010年10月9日
早朝より雨が降っていたが、親爺は所用で室堂に入った。
帰路、弘法平から美女平あたりまでは濃いガスに覆われ視界僅か数メートル、難儀をした。
剱御前小舎週末ながら今日はお客様も少ないだろうと思っていた。心平がオカカにこんな
写真を送ったりしているくらいだから・・・(禁煙中の親爺の喫煙証拠写真?)
が、なんと30名様がお泊まりだと心平からの連絡、有り難いことだ・・・。

2010年10月8日
余りよい天気なので、オカカと紅葉をながめに又室堂まで行ってきた。
弘法から弥陀ヶ原が紅葉真っ盛りで、青空の下錦秋を満喫した。



良い天気だ。
一昨日山から下りたばかりなので、生活のリズムがまだ山小屋のままだから、朝は5時前に目覚める。
オカカがいい面の皮で、親爺がごそごそ起き出して煩くて目が覚めてしまうと怒っている。
もう一週間は我慢して下され・・・
山里もかなり寒くて、ストーブを焚いたりしていたのだが、今日は25℃まで気温が上がるとか。
親爺が初雪の降った山から下りてきたら、下界にはコスモスが咲き乱れていて、さすがに親爺もホッとしている・・・。
