新年おめでとう御座います。
                                              ずぼら日記本年も続けさせて頂きます。
                                              本年もどうぞ宜しくお願いいたします。 2011/01/01

                                               今日から2月です。
                                               ずぼら日記このまま継続いたします。2011/02/01 

                                               3月31日最終更新


03/31
 昨日から長野に来ている。
 末娘が社会人一年生としてスタートを切る松本市まで送り、オカカと二人上山田温泉で投宿。今朝は上田城をじっくり見ようと張り
切って宿を出たが、九時半過ぎからあいにくの雨・・・。仕方なく真田神社にお参りだけし、帰途についた。
 3月も今日で終わり。この3月ほど重く心痛む3月はなかった・・・。
 それでも明日からは新年度が始まる。
 せめて心もちだけは新たな年度に向け、前向きに切りかえねばならない。
 雨の上田城址。


03/29
 良い天気が続いて、いよいよ小屋開けが迫ってきた。と、思っていたら山岳警備隊のK隊員とM隊員が、遭対無線などを持ってき
てくれた。
 いよいよ小屋開けで、戦力にはならない親爺ながら何となく周辺がざわついてくる。
 それにしてもこの季節の明るさは何だろう・・・昔未だ信濃大町から小屋開けに入っていた頃の未舗装の大糸線周辺の春を懐か
しく思い出す。
 オカカと富山市内まで出かけた。我が山里は標高400m余りで未だ雪がたくさんあるが、200m足らずの岩峅寺あたりまで下ると
全く雪はなく、さらにもう数十mも標高を下げると、そこでは桃の花が咲き乱れていた。


03/27
 長女の引っ越し騒動に今日の午前中いっぱい巻き込まれた。
 山のお客さまのYさんが親爺宅へ立ち寄って下さった。なんと奥様手作りのイカナゴの釘煮をわざわざ届けに来て下さったのだ。
 ちょうど間の悪いときで、親爺には郷土の大先輩、H大山岳部OBのIさんから電話が掛かっており、「立山ガイドの系譜」に関わ
るお訪ねの電話で、なかなか話が長引いていた矢先だったのでせっかくお越し下さったYさんとは玄関先での挨拶だけ、実に申し
訳ない事と相成ってしまった。
 しかしこのイカナゴの釘煮は実に美味い。腹がはち切れている親爺なのにこの上も又太ってしまう・・・。


03/26
 長女の転勤引っ越し、次女の疎開的帰省?に帰京、そして三女の卒業式とここ何日か親爺とオカカは振り回されていたが、今日
明日中には何とか、大凡が片付きそうだ。
 一昨日から松本に出かけ、昨日は卒業式に出席し、東京の次女に不足しているという品物を送り、今日は松本から帰って、直ぐ
に長女の引っ越し荷物を富山市内のアパートに運んだ。
 「馬鹿を見たけりゃ親を見ろ。」とは良く言ったものである。今の親爺とオカカは当にそれだ。
 体力に問題のある親爺は、かなりへばっている・・・。
 奥飛騨は雪。道が所々圧雪になっていて危なかったが、新雪の雪化粧は美しかった。
 


03/22
 木の雪もすっかり落ち、回りは黒々として来た。
 昨日はお彼岸で、閻魔堂では「数珠繰り」があった。
 我が山里は神仏混淆(神仏習合)の立山信仰の本家、今でも村を挙げて取り仕切る神事仏事は数多く、主に女衆がこれを仕切る。
 中央で経を読む僧侶を取り巻くように大きな数珠が繰られる。


03/21
 雨の春分の日を迎えている。暖かい雨だから雪が目に見えて解ける。
 しかし暖かい朝からだんだんと気温が下がってきたようで、今は霞立って来た。
 長女が転勤で、引っ越しである。転勤の多い職種なので予め覚悟はしていたようだが慌ただしい年度末であり、最後には親爺
もオカカも駆り出され、ここ2日ほどをアパート探しと引っ越し業者の手配に費やした。
 次女もこの3連休は東京から帰省しているが「私は疎開して来てるんだから休ませて・・・。」と宣言し、三女も卒業前の休日で
松本から帰省しているが、これが幾ばくかの「オコヅカイ」を餌に、長女のアパート片づけに引っ張り出されている。
 今日オカカは閻魔堂の「数珠繰り」に引っ張り出されていて、久々にそろった三人の娘達の夕食は、親爺がおだてられ引き受け
て、朝飯前からスープを仕込み、娘達のリクエストのスープカレーを作る。もっとも、いろいろ面倒な野菜の素揚げなどはオカカが
帰ってからやることになっている・・・。
 雪がすっかり少なくなった車庫の屋根である。


03/20
 これまで無かったほどこの1週間余り、長い時間をテレビを見て過ごした。
 もちろんこの大災害の報道番組ばかりである。
 おかげで被災地の深刻な状況はよく分かったが、これ以上テレビを見続ける事を出来るだけ止めることにした。
 体と、心が持たない・・・。
 決して被災地の状況に目をつぶるというわけではない。極々微力だろうがささやかな募金などを通じ、親爺とオカカに出来
る精一杯の事もするつもりだ・・・。
 しかし人間は、辛い状況ばかりを見続け、重く沈み込んでばかりは居られない様に出来ている。
 一刻も早く自らの日常に戻り、「普段」を取り戻さねばならない。
 被災地の皆さんが「普段」を取り戻す日はまだ先になるだろうが、先ず周りが普段を取り戻すことが被災された方々への励
ましとなるはずだと思う。
 春近い山里の朝・・・。


03/18
 寒いが晴れた。新雪に朝日が射す眩しい山里の朝である。
 大震災からもう一週間。テレビで見る被災地の惨状は深刻さを深める一方だ・・・。
 しかしこんな苦しいときだからこそ人間の「善」の部分が際立ち光を放つ。
 近隣諸国やアメリカ、ヨーロッパ諸国からの援助、心こもるメッセージ、決して日本は孤立していないのだと、寒々とした心もち
が暖かく癒される。
 救済支援活動はなかなかはかどらない。誰も手を抜いているわけではなく、官民一体になって全力で、命がけで全力投球し
ているのだ。被害範囲が広大で凄まじかったのだ。
 そんな辛い日々ではあるが、時は確実に流れている。


03/17
 昨夜9時過ぎに名取市のFさんから電話が入った。電波の状態が悪く殆ど聞き取れないが、まちがいなくFさんのお声で、無事
と言う言葉は聞き取れた。嬉しくて嬉しくて、もちろん涙腺は大ゆるみ・・・・・。オカカと二人ホッと胸をなで下ろした。
 昨日からの雪は30cmほども積もっただろうか。未だチラホラ降ったり止んだりを繰り返しているが明日はもう晴れ間が出ると云う
予報だ。被災地の避難生活を余儀なくされている方々にも、せめて天気でも良くなって暖かい日射しが戻ることを願わずにはいられ
ない。親爺もオカカも何も出来ない無力さを噛みしめているが、せめて募金くらいの最低限出来ることをしようと話し合っている。
 オカカがお守りに編み込んだ「お釈迦の団子」。剱御前小舎のスタッフは小屋開けの時必ずこれを身につけて入山する・・・。 
 


03/16
 冬が又戻ってきた。雪が吹き付けている。
 昨日は閻魔堂で団子まきがあって、オカカ達は当番と言うことで殆ど一日閻魔堂に詰めていた。
 今朝遅くオカカと一緒に富山市内に所用に出たときは薄日さえ射す天気で、道路も雪はなかったが、11時頃に帰宅した頃には
雪が10cm以上も積もり、道も真っ白になってしまっていた。車がプリウスなので、いわゆるFFである。親爺はもう30年間ほどスバ
ルレオーネ4WDを皮切りにビッグホーン2台、そして今乗っているもう、骨董品のようなカルディナ4WDバンと乗っていて、オカカも
サニー、セレナ、リバティーと4WDばかり乗っていたのでちょっと心細く感じたが、思いの外走れた。
 でもやはり冬の外出は例えおんぼろのバンでも4WD車に限る・・・・・。
 山里の春がちょっと遠のいた。 


03/14
 今日はオカカたち女衆が閻魔堂に集まって「お釈迦の団子(涅槃団子)」を作った。
 村にある9つの組の中、我が7組が当番だったのだそうで、明日はこの団子を閻魔堂で行う仏事の後に撒く「団子まき」が行われ
るのだ。
 時まさしくこの大災害直後、女衆は心を込め犠牲者の冥福を祈り、救助を待つ被災者の無事を祈り団子を作った。
 作られた団子に風を当て乾かす。


03/13
 本日もテレビにかじりつく予定。
 昨日は被害の詳細が判ってくるにつけ、親爺もオカカも顔が引きつって来た。
 集落どころか、村、町、ついには市単位が津波に呑まれ壊滅するなど、現実の事とはとても思えなかったのだ・・・。
 雪の舞うこの寒空に、家を流され逃げまどう人々、走っていて明らかに人が乗っている車がまるでおもちゃの車のように波にさら
われて行く。
 大自然の驚異などと使い古された言葉では言い表せない現実に、人間の無力さのみが心に突き刺さってくる。
 恐ろしい事だ。
 やはり人は、畏れ敬うべき心を忘れてはいけないのだ。余りにも恵まれすぎた日々に、畏れ敬う心は薄れ行く。
 こんな時にこそ「苦しいときの神頼み」と言われようが畏れ敬う心を取り戻すべきなのだろう・・・。
 太古から変わらぬ姿を輝かせ、立山の峰々が今日も聳えている。
 


03/12
 悪夢のような昨日午後の大地震。
 テレビ中継の津波に飲み込まれる車や家屋を見ながら、親爺もオカカもただおろおろするばかり・・・。
 夜になってどうにか東京の次女とも連絡が取れ、松本の三女も無事を確認したが、こんな時は人間の無力さを感じるばかり。
 しかし、果敢にこの災害に立ち向かっている様々な職業の皆さんも居て、本当に頭の下がる想いである。
 山里の朝はそんな出来事を知ってか、知らずか、静かに明け、穏やかな朝日がまもなく射してくるだろう。


03/11
 今年の小屋開けも、第1陣が4月17日に入る予定だ。
 とすると、もう一月あまりしか日が無い・・・。
 ついこの間小屋を閉めて、打ち上げをしたばかりだと思っていたのに、お気楽な日々というのはあっという間に過ぎ去ってしまう
ものらしい。
 今月末か、来月早々にはヘリによる山小屋偵察をして、親爺も20日頃にはヘリの荷揚げと一緒に入山し、4月25日には営業
再開だ。
 これからは少しずつだが、気ぜわしくなってくる。
 オカカが緑にもらった、窓際の鉢植えの蘭の向こうには未だ寒々と雪景色が広がる。


03/10
 雪が溶け、黒々としてきた山里に、昨日から雪が断続的に降り続き、今朝まで30cm程降り積もった。
 山里は又、白銀の世界に一転した。山々も、木々も家々の屋根もみんな白に覆われた。
 今朝は晴れた。だから白銀の世界が青空の下に眩しくキラキラと光り輝いていて、とても弥生の山里とは思えない。
 花霞に包まれたモノクロームの幽玄な世界に桃の花の淡い彩りがかすかに混ざるくらいが、弥生の山里の情景のはず・・・。
 つららの下がる軒下から見慣れた不動山と来拝山を望む。


03/09 
 今朝は山の神様の祭り。
 最近はこの祭りを他所から見に来る女性がいて、芦峅寺の山の男達をうろたえさせているが、元々は男だけで執り行う祭りだ。
 村の女衆は裏方に徹し、決して参拝などしない。
 まぁ、しかし、今のご時世にそんなことを言っていても男女差別かなどと凄まれるばかりだし、本来はそうだったとだけ言っておこう。
 ピンぼけ写真だが、未だ未明の宮で神事は行われる。


03/07
 夕べ帰宅していた長女が勤務地のアパートに戻り、親爺とオカカは又二人だけの平日の朝を迎えている。
 はっきりせぬ、親爺の風邪みたいなぐずついた天気だが、オカカは朝から掃除やら炊事やら洗濯やらと忙しく立ち働いている。
 親爺は目覚めるや直ぐベッドの中で本を読み始め、オカカに怒られるまで起きないのだが、それでも流石に8時半には台所の
食卓でお茶か珈琲をすすっている。
 親爺とオカカの二人だけの生活は非情に慎ましい。強いてそうしている訳ではないが、割と合理的な考えの二人なので食卓
から先ず慎ましくなって来て、スーパーでの買い物も2,3日分をまとめ買いしてもせいぜい3千円前後、日に換算すれば千円ほ
どの食費で十分なのだ。
 オカカが「まいだま」を揚げてみた。やはり手の掛かったものは美味い。


 居間のストーブは暖房のみならず、親爺とオカカの朝食用の粥を煮、湯を沸かし、昨晩の残り飯を「糒」に乾しあげる。
 このちょっとしたアイデアの実行が、緩やかな時間の流れの中で可能になり、親爺とオカカの暮らしを合理的に慎ましくさせて行く。
 沸かした湯はお茶、珈琲のみならず、夜には湯たんぽに詰められオカカの夜具の中を暖める。


03/06
 高曇りで視界は利いて、寒さは感じないものの足元は凍りついている。
 昨日は久々に若い連中と食卓を囲み、まるで剱御前小舎の食堂にいるような気分だった。
 心平と緑にHideと最強メンバーがそろった。これにミッチャンや森爺さんが顔をそろえればオールスターキャストだ・・・。
 親爺のシチューがわりと好評だったので、親爺は良い気分になって風邪もかなり抜け熱も下がってしまった。そして親爺は
韓国料理の華、サムゲタン(もどき)にその行きがかり上、挑戦する羽目となったのである・・・。
 と言っても親爺の料理である。鍋にあり合わせの鶏肉と、ひとつかみ足らずの餅米、にんにく、ショウガ一かけ、甘栗数個を
放り込んで水を加え、居間のストーブの上にかけておしまい。後は只ひたすら肉が軟らかくなるまで煮るだけである。煮上が
ったらこれに塩コショウ、好みでごま油でも加え、きざみネギを振りかけてすすれば、それなりのサムゲタン(もどき)にはなる
だろうと、インターネットの情報を元に試みたのだ。
 結果、「これは美味い。」と言う味にはなったが、何分本物のサムゲタンというものを未だ食したことがないので、比ぶべくも
なく、限りなく濃厚で薄いお粥風スープと言った代物だが今のところ満足している。
 でも夕べの居間は、にんにくやらショウガのかなり良いにおいが立ちこめ、韓国料理店のような雰囲気となったのだ。
 「この次は剱御前小舎でサムゲタンを作ってやる。」と上機嫌で怪気炎を上げる親爺と心平、みどり、Hideの面々。オカカ撮影。


03/05
 今日は今シーズン親爺に請われ剱御前小舎へ戻ってくれることになったHide君が家に来る。
 心平・緑も呼んで、親爺が風邪と闘いながら作ったビーフシチューで昼食会をする予定で、お気楽ながら二人だけでいつもちょ
っと寂しい親爺とオカカは少し張り切っている。
 オカカは親爺のシチューに添えるサラダを作り、茶菓子代わりの「まいだま」を油で揚げ、親爺はシチュー作りが、風邪を引いて
熱に浮かされながら作った割にはうまくいったので満足している・・・。
 さてどんな昼食会?になることやら・・・。
 明るい空が、いくらか心和ませてくれる弥生晴天の今日だ。


03/04
 大雪注意報が出ていても青空が広がり雪が降らない山里だ。天気予報も良い方に外れるのなら余り文句を言われないので、
悪い予報ばかり出しているのかと勘ぐったりしている・・・。
 風が抜けきらずとうとう熱が出て、夕べは少々参った・・・。今日は幾分良いようで、さっき近くの医院で薬をもらってきたから、
間もなく回復するだろう。
 3月になるとイワナ釣りが解禁になる。もちろん常願寺川など未だスキーを履かなくては歩けないが、昔、真川迄スキーを履い
て釣りに入ったことが何度もあった・・・。心平あたりがそろそろその伝を受け継ぎそうな気配。
 未だ雪に閉ざされた常願寺川。


03/03
 ひな祭りの今日も親爺達の気持ちを知ってか知らずか、雪が舞って明けた。
 10時少し前から雪は止み、青空が広がりはじめ、今は陽の射す良い天気だが、立山方面はガスの中で未だ見えない。
 親爺は完全に風邪を引いたようだ。
 午前中は隣の謙ちゃんと出かけていたが、帰宅したら体がだるい事に気付いて、足元まで定まらない・・・・・。
 熱を測ると三十七度三分・・・。良い天気だが薬を飲んで寝ることにしよう。
 新雪を被った来拝山。


03/02
 雪が戻ってきた。
 降雪量など今の時期だから高が知れているが、警備隊の救助活動の妨げになっているのが心配だ。
 隣の早月小屋の謙一親爺は元山岳警備隊員。今回も馬場島まで手伝いに行っていたが一昨日帰宅していた。その謙ちゃんか
ら朝電話が掛かり誘われて、昨日救助された二人の隊員を病院に見舞った。
 親爺にしても、謙一親爺にしても二人の顔を見てホッとし、ただ「良く戻ってくれた」との想いが全てである・・・。
 しかし、二人とも我が身より、残してきた隊員を案じ悔し涙を流すばかり、その姿は崇高でさえあった。
 肩をたたき、背を撫で「良く頑張ったな。」と声をかけるのが精一杯、親爺二人とも只共に涙を流して帰ってきたばかりだ。
 大自然を相手に、人間の力は高が知れている。それを十分承知の上で自らを鍛え、その大自然に立ち向かわざるを得ないのが、
山岳警備隊員なのだ。
 無情の空は未だ雪を降らせる。
 


03/01
 昨夕松本のホテルに入った直後北日本新聞から電話が入った。「山岳警備隊が訓練中剱岳池谷ガリーで、3人雪崩に巻きこま
れ遭難・・・。」親爺には寝耳に水の話である。
 連絡をくれた記者に逆に情報をもらい、その後心当たりに連絡して又情報をもらったが、何分出先でのこと、落ち着かない一夜
を過ごした。
 松本での用事を早々に済ませ、大糸線経由で今家に戻ってきたが、雨が霙に変わり、もう雪になってしまった。
 小谷村のあたりも雪は少なくなっていたが、我が山里と余り変わらない・・・。


02/28
 二月も今日で終わる。一月は長いが二月は短い・・・。
 雨が降ってはいるが暖かい朝で、花霞に包まれた周囲はおぼろなモノクロームの世界だ。
 毎年だがこの時期になると小屋開けがいよいよ身近なものになってくる。我が剱御前小舎で一月半余り、室堂周辺の小屋だと
一月あまりで入山となるからだ。
 山里の生活も雪から解放されれば随分と住みよくなる。そんな意味では例え降っても高の知れている3月以降はのんびり出来る
山里かも知れない。
 花霞に包まれた、雪未だ消えやらぬモノクロの山里だが、妙に暖かい。


02/27
 夜中の2時頃と、明け方の5時40分頃に地震があって、夜中の方は知らず寝ていたが、明け方の方で目が覚めた。
 ベッドの中でドドドッと云う音に目覚め屋根の雪でも落ちたかと思ったが、屋根には落ちる雪はもう無いし・・・起きてテレビをつけ
たら地震情報が出ていて、震源の飛騨で震度4、こちらで震度2だった。
 窓外を見ると大日がうっすら見え、山の端が明るんでいて、寒さも余り感じなかった。
 我が山里もずいぶん雪解けが進んだ。
 不動山も黒々として来たし、家々の屋根も雪が殆ど無くなってきた。


02/25
 雨の降る朝だが暖かい。この雨で雪が半減したようだ。
 親爺宅の玄関をはいって直ぐ右側の壁は、居間の引き戸の脇の壁になるのだが、とにかく人を迎える要の位置の壁で、そこには
親爺の大好きなお面が掛けてある。
 もう十数年も前、山形県上山温泉のお宿「橋本屋」さんでお世話になった時に気に入って買い求めたものだ。
 邪気が無い笑顔が何とも嬉しくて、人をお迎えするときにこんな笑顔が出れば、言葉など何も要らない・・・と思ったから、無愛想な
親爺の代わりに、その人を迎える要の壁に掛けてある訳だ。


02/24
 快晴日6日目も朝だけで、午後からは高曇りとなった我が山里だが、暖かくて風もざわざわ吹き、雪がずいぶん減った。
 富山は今、ニュージーランド地震で被災した学生達の安否が知れず、大騒ぎだ。
 親爺も3人の娘の親。被災した学生さんのご両親、ご親族の心情を想うと何とも言葉も出ず、ただ涙腺が緩んでしまう・・・。
 19歳前後の前途洋々たるはずの若者達が何とした巡り合わせだろうか、今は只、何とか無事でと祈るばかりだ。
 山々が山裾から雪衣を脱ぎ始めた。


02/23
 快晴5日目だ。今日は気温も高く12℃程も上がっている。
 午前中は村内の元山岳警備隊員Mさんの奥方の葬儀に出たが、往年の山岳関係者の顔が多くあって、懐かしい人にも会った。
「こんな事でしか顔を合わせる事もないなぁ。」とお互い感慨深かった。
 これだけ快晴日が続くが、平野部の残雪も未だかなり多い。今年の立山の雪はどうだろうかと、ぼちぼち山のことを考える時期に
なってきた。立山連峰は今日もくっきりと姿を見せている。


02/22
 快晴4日目、非常に嬉しく、心も晴れ晴れするのだが、これだけ晴れ間が続く冬も余り記憶にない。
 今朝も7時前には目覚めていたが寝具の中で本を読み始め、起きて朝食を食べたのは8時頃だった。その頃には居間に強烈な
朝日が射し込んでいて眩しかったが、これが親爺とオカカにはたまらなく嬉しい。
 暖かい日中は床暖もストーブも消すこともある。
 

 オカカの編んだ「まいだま」が乾し上がりつつある・・・親爺の間引きが激しい・・・・・・。


02/21
 快晴日が今日で3日続く。暖かくなって居間の床暖房を入れ忘れて居たのも気付かない今朝だった。
 お日様が顔を出し、暖かくなってくると人間もウロウロと動きたくなるものらしい。オカカと二人車庫の二階の物置からおひな様の
飾り台などフルセットを久々に家に運んで(親爺は息切れしながら・・・)置いたのを、今朝から飾り付けた。
 オカカ7割、親爺3割くらいの「お役立ち度」ではあったが、一人では半日くらいかかる処を、二人で2時間ばかりで飾り上げた。
 雪に閉ざされ未だ雨戸を開けられぬ座敷に、何と4年ぶりに飾られた完全バージョンの雛壇で、パーッと陽が射したように華やか
な気が座敷いっぱいに溢れた。
 いやいや、なかなか良いものだ。
 確かに若いときのようにパパッと片手間に飾り付けることは出来ぬが、親爺とオカカとそれなりに、時間をかけて楽しみながら飾れ
ば良いのだから「来年からも手抜き無しで飾ろうか。」とオカカと二人話している。
 オカカは携帯でおひな様の写真を撮って、3人の娘達に送ったようだ。


 スチールの台を組、毛氈を敷きつめ、このあたりで親爺はもう役立たず・・・・・。


 この段階では親爺に参加資格無し・・・・・・。オカカの独壇場。


02/20
 夕べもいくらか気温が上がったようで暖かく感じていたが、今朝はまだ家の前も凍りついていた。
 快晴日2日目、流石に気温も上がってもう4℃以上はありそうだ。明日からも未だしばらくは天気が良く、この分だと雪はすっかり
少なくなりそうだ。
 山里の冬もいよいよ終盤に近づいてきたようだが、3月の声を聞いても雪が降る事が当たり前の我が山里、油断は出来ぬ。
 大日の山肌も雪崩の後が目立ってきた。


02/19
 陽が輝いてはじけ、山里に積もっている雪の面を駆け回っているような、如月末の快晴日だ。
 気温はまださほど上がらぬが、木々の雪は落ち始め、立山の峰々が輝きそびえ立っているのが望まれる。ようやく春の気配を
感じている山里だ。
 鍬崎山が青空に輝き聳える。この天気はしばらく続きそうだ。


02/18
 今朝は松本城のそばのホテルで朝を迎えた。昨日の午後から所用で松本に来ていたのだ。
 所用を終え、雪がないのが何よりで、久々に城まで散歩。いやしかし、その寒いこと寒いこと・・・・・・オカカと二人ともダウンで
着ぶくれていたが、それでも寒い。標高が600m以上もあるのだから・・・。
 
 


02/17
 昨日の晴天日は閻魔堂で仏事があって、それが何なのか親爺はよく知らないが、ちょうどわが家の所属する7組が当番で、
オカカが同じ組の「山の神仲間」とお世話役を勤めた。
 芦峅寺は140戸足らずの集落で、それが9組に組み分けされていて、村の行事などは大抵その組単位で行う。
 エンマサマ(閻魔堂)やコンピラサマ(琴平宮)オコシンサマ(庚申塚)などの仏事、神事は「山の神様」の祭事以外、大凡が
女衆によって執り行われるので、この村で生まれ育った親爺ではあるが、高岡から嫁いできたオカカの方が遙かに詳しく、親
爺など殆ど判らない。
 

 一昨日で猟期が終わったが、最後の出猟で兎2羽をしとめた心平だ。
 捕った獲物は皮をはぎ、山からの恵みとして有難く、無駄なくいただく。皮をはぐ心平。
 はいだ皮も勿論、なめして有効利用する。昔の山の民の生活が僅かにかいま見える。


02/16
 冬の神様の特別サービスだろうか?恐らく今年になって初めての快晴日だ。空は真っ青、雲一つ無い。
 日の光に慣れていない目に、白く覆われた雪面の照り返しがまぶしく、冬の快晴日というのはやたら明るい。
 このくらい明るくなければ、雪国人の暗く沈みこんだ心には、その光が届かないからだ。
 陽光のぬくみは、積もった雪もあっという間に目減りさせる。
 軒先のつららから滴が落ち、凍てついて張りつめたような大気が緩む。
 彼方の鍬崎山も久々に姿を見せた。
 

 大日も青空に胸を張りながらも、厚くまとった雪衣を少し恥じて、首をすくめている様だ。


02/15
 夕べから降り始めた雪がけさまでに30cm程も積もった。「山間地で最大15cm程の積雪」との予報を超える。
 まあこの雪も今日午前中いっぱいのようだ。振り方はずいぶん弱くなってきている。明日は朝から快晴マーク、温度も上がりそう
だから、あっという間に雪は嵩を減らすだろうが、昨年の今と比べると驚くほどの残雪量だ。春は遠い。
 忘れていたが昨日はバレンタインデー・・・親爺もオカカからチョコレートをもらったが、家を離れている3人の娘からは何も来ない。
 まぁ、せっかく2箱もらったチョコレート、オカカと一緒に食べよう・・・。


02/14
 遭難対策協議会と県警山岳警備隊の合同訓練が今日行われる。
 一昔前なら親爺も参加して訓練を受けていたが、数年前からは参加してもストーブの番人ばかりで、ここ二、三年は心平に参加
してもらっている。
 朝、目が覚めて空模様を気にするのは剱御前小舎に居る時と同じなのに気がつく。
 いつもそうだったろうか?やはり大雪に飽きはてて、青空を熱望しているからだろうか?
 春は未だ遠いようだ。

 


02/13
 夕べから又雪降りで、今朝までに30cmは優に積もった。
 猛烈な降りと、止み間が繰り返す空模様だが、もうこの時期になれば一晩1m近くの積雪は先ず無い。
 世の中は3連休で、昨日までの雪の止み間には近くのスキー場は大賑わい。救急車も朝から忙しかった様だが今日はあいにくの
雪模様の最終日となった。
 親爺はオカカと二人、今日はお籠もりを決め込むつもり。


02/12
 叔父の十年祭の今日、どうにか天気は持ってくれ、跡取り息子の朗が3mも積もった雪の中から墓を掘り出してくれたので墓参も
する事が出来た。親爺には懐かしい叔父の気配を、直ぐ身近に感じた今日であった。
 だが、家へ帰って間もなく雪が又降り出し、今夜から明日にかけてまた雪が降り続くと言う予報だ。
 もう大雪の心配はないとは云え、雪空には飽いた。
 暖かい春の日射しをこんなに恋しく想うとは、親爺もやはり焼きが回ったのかも知れない・・・。
 せっかく目減りした車庫の屋根の雪に又雪が降り積む・・・。


02/11
 雪はちらつかぬものの気温が上がらず寒い「建国記念の日」だ。でも親爺の心はぬくぬくと温まっている。
 中学時代の恩師から暖かいお便りを添えたお心遣いを頂いたのだ。
 以前お送りした親爺の本への御礼だったが、このD先生は「朗読」がお上手で、若々しい優しい声でいろいろな本を読んで下さった。
そして半世紀を経た今になっても、自分の教え子を気にかけて下さり、何かにつけお声をかけて下さるのだ。
 電話でお礼を申し上げたが、若々しいお声は健在で、「時間があるならもっともっと一生懸命書き続けなさい。」と親爺のずぼらに
発破をかけられてしまった。
 有難いものだ。
 親爺には実に多くの恩師がいて、親爺の本を10冊もまとめ買いして下さった高校時代の恩師M先生や、中学時代のこのD先生や、
とにかく可愛がっていただいた先生方にはお礼の申し上げようもない。
 「はい。先生心を入れ替えて頑張ってみます。」と、親爺の返事。
 でも、それがアテにならないことは先生が一番良くわかって下さっている・・・・・。


02/10
 夕べから又10cmほどは降ったようだが青空も見え、日が射していた。しかし気温は上がらずかなり寒い。
 すっかり雪を落としていた木々も又雪の薄衣をまとってしまった。
 所用で出かけた国道41号線沿いの山々も又新雪をまとった


02/09
 昨日はオカカの誕生日だった。以前「誕生日に花束贈ってもらえると嬉しい。」と言っていたので、親爺なりの花束を注文して贈った
が、東京にいる次女からも「母さん」に花束のプレゼントが届いた。
 親爺も余りけちったわけではないが、次女の花束は大きく華やかで、親爺の花束はかなり見劣りしてしまった・・・。
 「両方とも凄く嬉しいよ。」と、オカカは花束を花瓶に生け直し、にこにこきげんが良かったので、親爺もホッとしたが、来年は次女に
負けない花束を贈らないと、やはり親爺の沽券に関わりそうだ。
 次女の贈った花束は非常に華やかだ。


 親爺の贈った花束は小さくまとまって・・・・・・


02/08
 昨日叔母が来て昔話に花が咲いて、亡き母や叔母の長姉である伯母に聞いた「糒と宮様」のエピソード(続・立山夜なべ話参照)
に話が及んだからだろうか、オカカが突然ホシ(糒)を作り始めた。
 親爺とオカカの二人暮らしで、三合もご飯を炊くと一日では食べ切れないことがちょくちょくあって、冷や飯が大抵残っているわが家
だからでもあろう、ストーブの前に厚手の紙を敷いてその上に冷や飯を広げ乾し始めた。
 ついでに神棚に上げて忘れていた餅も卸してかき餅として一緒に乾している。
 そう言えばホシなんて久しく口にしていないが、我が山里では携行食、或いは保存食として、親爺が子供の頃にはまだ珍しくない
ものだったような気がする。でも流石に今は誰も作らないだろうな・・・・・。


02/07
 雪解けが進み、暖かい霞が立って来たかと思うと、又霙や雪が降り始める。
 しかし記録的豪雪のこの冬も流石に、二月の声を聞くと落ち着いて、降る雪もどこか弱々しい。
 今日は久々にわが家へ叔母(あっこ婆ちゃんが)が来て、賑やかだった。
 母の妹である叔母はその顔立ちや何かの全てが、亡き母を思わせる。
 親爺にとってはもう最後の、血縁の叔母で今年78歳になる。
 雪解けが進み、霞立つ山肌。
 


02/06
 薄曇りだが比較的暖かい日だ。
 ちょうど昨年の今日のわが家の車庫の写真があったので、今日と比較してみた。上が去年で、これは新雪20cmが降っての状態。


 これが今日の写真で、目減りしたしまった雪での状態だから、恐らく50cm以上今年の方が多いだろう・・・・。
 

 で、因みに親爺のベーコンはこんな風に仕上がって、オカカと早速食べてみた。塩味もちょうど良く、なかなか美味い・・・・・。


02/05
 かなり暖かい日になったが、3〜4℃くらいだろう。
 久々にベーコン作りを始めた・・・と言うか、1週間以上前に取り寄せた常陸ポークのバラ肉を塩漬けにし、陰干しして準備してい
たのだが、今日はそれの燻しを始めたと言うべきか。
 常陸ポークは脂身が甘い。これで作ったベーコンはかなり評判がよいので去年も作ったのだが、塩加減を間違えたり、風乾の
段階で戸締まりを忘れ、イタチか何かに荒らされてしまったりとさんざんだったので、今年は車庫裏の親爺部屋は使わず、オカカ
の許可を得て、家で作業している。
 で、燻しも大がかりには出来ないので、一番簡単な温燻で仕上げるつもり。
 ぼろぼろになった昔のスモーカーを引っ張り出してスモーク中。さて、今年の出来は・・・・・?


02/04
 昨日は節分。いつもならオカカが家で豆まきをするのだが、酷い雪のせいで根性までねじ曲がってしまいそうで、何やらくさくさ
していたので、変な話だが午前中に豆まきをして、最後には玄関から外に向かい「鬼は外〜」と思い切り豆をまいて、くさくさの元
を追い出しておいて、戸締まりをし、オカカと二人で何か美味いものでも食いに行こうと出かけた。
 で、今朝は早くも立春。昨夕は美味しいものを堪能して、お湯にもとっぷり浸かってきたからかなり元気になって日の光の射す
わが家へ戻ってきた。
 昨年末から1月以上、どこへも出かけることもままならず過ごした大雪の冬。もう終わって欲しいなぁ〜・・・・・。
 美味しい食事に癒される親爺・・・・・・・。
 


02/02
 今朝は朝から晴れた。天気予報のお日様マークも今年に入って初めて続いている。それでもわが家の前はこんなものだ。


02/01
 胃カメラの予約があったので朝早くから富山市内の病院に向かった。
 道は思ったほど悪くなく、除雪もずいぶん綺麗にしてあったが、朝の通勤ラッシュに引っかかり、普段は30分の病院まで、1時間
10分もかかってしまった。
 胃カメラは1年ぶりだが、私のかかりつけの病院の院長先生は名人。苦しくないのだ。
 病理検査の結果は1週間後とのことだが、幸い大きな病変は無さそうだ。
 病院の帰りに村の入り口の庚申塚にさしかかった。庚申塚も雪に埋もれて、石段も雪の下で、木立だけが見えていた。


01/31
 記録的豪雪にほぼ間違いないこの雪だ。将来、平成23年豪雪「ニーサンゴーセツ」とでも呼ばれるようになるだろう。
 何せこの一月晴れ間がほとんど無く、ちらほらと、或いは激しく、とにかく「継続は力」とばかりに降り続いて気付けば山里で
3メートルの積雪となっていたのだ。
 何年ぶりかで雪国の住民の悲哀を噛みしめたような、そんな豪雪地帯の豪雪だった。いや決して過去形で書くべくではない。
今は僅かな雪の止み間なのだから・・・。
 それでも青空が出るとわが家でも、すでに役立たずのレッテルを貼られた親爺を尻目に、オカカが孤軍奮闘。庭の除雪だ。


 オカカの活躍はこれに止まらず、昨日親爺の唯一の叔母「あっこばあちゃん」からもらった寒餅を、「まいだま(かき餅)」に切り、
これを藁ならぬビニールひもで編んで(編み方は近所の婆ちゃんに教えてもらった)これを干すという、母が逝ってわが家では絶え
ていた「まいだま」作りを復興させたのである・・・。「続・立山夜なべ話(七、まいだま)」参照
 あっこばあちゃんの寒餅はオリジナリティー溢れる。 ちりめんじゃこ、塩昆布など独創的だ。 これを厚さ3mmほどに切る。
 
 昔は専用の「押し切り」を使ったが、現在は包丁で。切るときの餅の堅さの見極めが難しい。切った餅を編む。
 
 編み方が判らなくなって、途中で近所の婆ちゃんに教えてもらう。  で、ついに「まいだま」一連(いちれん)がしあがった・・・。
 


01/30
 凄まじい雪だ。
 親爺が過ごした58回の山里の冬でも、10指に入る積雪量だろう。
 膨大な機械力、人力が、この雪に喰われている・・・。
 一度も雪下ろしをしていないわが家の車庫は恐らく2m半ほどの雪が積もっているが、流石に何やら不気味である・・・。
 まぁ、3mを超える積雪に耐える構造という事になっているから大丈夫ではあろうが・・・。
 たまの日曜日も雪下ろしが待っている。親爺の友人Nさんは今年何回目の雪下ろしだろうか?


 01/28
 宮城県にお住まいのFさんが、又大量の野菜やら鰈、生牡蠣、ホタテ貝などをお送り下さった。豪雪見舞いだとのこと。
 Fさんは親爺のこのHPをお読み下さるお一人で、未だ面識もないのだがいつも素晴らしい絵手紙を添えて下さるので、何やら旧知
の友人のような気がしている。
 流石に厚かましい親爺も一寸恐縮してしまうが、せっかくお送り頂いたのだから有難く頂戴し、心平や、謙ちゃんにもお裾分け。
 それにしてもおかしなものだ。昨夜から一寸風邪気味で食欲を無くした親爺が「鰈の煮付け」を喰いたい等とオカカに言っていた矢
先のFさんからのこの贈り物。親爺は早速煮付けを作った。これは今夜の夕食に頂こうと楽しみにしている。
 昨年のサンマと言い、今回の野菜や太平洋の海の幸と言い、Fさん本当に有り難うございました。
     こんなに沢山な野菜と海の幸                  この芹はことにうまそうだ・・・。
 

           見事な鰈                          見事な生牡蠣にホタテ貝
 

  早速オカカが料り(大きな鰈の真子が又美味そうだ)            親爺が煮付けを作る
 

          そしてこの贈り物にはこんな絵手紙が添えられている。


01/27
 キチガイ空に親爺も閉口。夕べから又50cmも積もった・・・・・。今年の冬の神様は底意地が悪い。
 外の鉛色の空には慣れていて、ちょとやそっとでは滅入らない親爺だが、年が改まってからこっち青空が顔を見せたのは延べでも
1日あるだろうか・・・?と云う今年の冬には流石に少々うんざりして、滅入ってきた。
 物干場バルコニーの外は小屋開けの剱御前小舎に匹敵する状況だが、明るい日射しがある分剱御前小舎の春の方がましだ。
 


01/26
 たまに買い物に出て、安い国産牛のすね肉を見つけた。「う〜ん?」と、疑問符付き尻上がりのうなり声が出た程の価格・・・・・。
 で、ためらわず3パック600グラム見当を買い込み、一ビン380円なりの安物赤ワインも買ってきて、親爺は久々にビーフシチュー
を作った。
 親爺のレシピは、昔読んだ「檀流クッキング」のかなり大雑把なレシピを更におおらかにした代物だが、オカカは勿論3人の娘達に
も好評な一品だ。
 先ず買ってきた肉を適当な大きさに切り鍋かボールに入れ、タマネギ、セロリを細かく刻んで加え、そこへ赤ワインを半ビン注ぎ一
晩置く。
 翌日大きなフライパンにバターか、マーガリンか、サラダ油かとにかくオイルを入れ、漬け込んで置いた肉だけを焼き、全体に焼き
色が付いたら鍋に移し、つけ置きのワインと刻み込んでおいた野菜も入れ、水も少し加えあくを取りながら煮る。
 ここで少し塩コショウで味を調えておけば肉にも味がしみる。更に好きな野菜も適量加え(親爺はタマネギとセロリのみ)気長に1時間
も煮て肉が好みの柔らかさになるまで煮る。
  
 で、煮ている間は手が空くので、ここでこのシチューの味の決め手とでも云うカラメルを隣のガス台で作っておくのだが、これは適当
なフライパンにサラダ油を適当に入れ、結構な量の砂糖を加え煮詰め、砂糖がまさしくカラメル色になったら火を止めておくだけだ。
 さてもう一手間、ここで面倒だが小麦粉を茶色くなるまで煎り上げ、シチューの煮汁で溶いてブラウンソースを作る。市販のグレービー
ソースを加えるという手もあるが、手作りのブラウンソースは出来上がりが違うから我慢して手を抜かない・・・。
 このブラウンソースを鍋に加え後はとにかく、更に煮込むのみだ。
 親爺は居間のストーブでことこと焦がさないように煮た。
 最後の味付けは塩、醤油、ソース、ケチャップ等々、好みで好きなようにつければ良い。
 シチューの濃度(とろみ)も好きなように加減すれば良いが、とにかく最後にカラメルは必ず加えた方が美味いと思う。
 今日は親爺の料理教室になった・・・。
 

途中で鍋ぶたを取って写真をう撮ろうとしたが・・・・・。 いや美味しく出来た。バケットのガーリックトーストが合う。


01/25
 家は融雪装置で雪下ろしから開放されているし、車庫も太い鉄骨構造で雪下ろしをしなくとも耐えられる構造になっている・・・・・
はずだったが、思わぬ伏兵。電気の引き込み線である。
 車庫屋根の雪が雪庇のように張り出し、この電気引き込み線に荷重がかかっているように見えて仕方ない。
 で、やむなく親爺は屋根にはしごをかけ、雪下ろしに取りかかったのだが、2mを超す雪は重く、例え雪庇でもなかなか切り落とせ
ない・・・。例によって息切れ親爺はたちまち玉砕。近所で頼まれた雪下ろし作業中の心平にSOSのおそまつ・・・・・。
 駆けつけた心平は親爺からスコップを受け取るや僅か15分で雪庇を全て落としてくれたが、落とした雪を片づけるのが又一仕事。
 ただ、ウロウロしては息切れしている親爺にオカカが、「山荘組合へ用事に行ってきて。その間に私が片づけておくから。」と命令。
ホイホイとスコップを投げ捨てて、組合へ出かけた親爺を尻目に、結局落とした雪はオカカが頑張って融雪溝に運び片づけた・・・。
 どうにか雪庇と縁の切れた電気引き込み線。この程度の雪なら車庫はびくともしないのに・・・・・。


01/24
 雪はいやだ。が、これとて大自然の摂理。野山に積もった雪が春を待ち、溶けて大地を潤し生きとし生けるものを潤し、命の源と
なるのだと思えば、誠に有難い雪だ。
 とかく現代は自らの命の源が見えにくい。自らの命を支える食物の原型すら判然と知らない。
 普段食べている穀物や肉や野菜が、大自然の摂理の中で、大方の偶然と、僅かな人間の英知、労働により恵まれている事を
忘れている。だから大雪、豪雪などとやたらに騒ぐばかりで雪の恩恵に想いをいたさない・・・。
 鉛色の空から落ちる雪を眺めていると、ちょっとこんな事も考えることがある・・・それにつけても陽の恋しさよ・・・。


01/23
 雪に埋もれて暮らすのは確かに大変だが、腹を決めて腰を据えさえすれば、ずぼら生活にはもってこいだ。読みたい本の2,3冊
もあれば、それを持って巣穴に籠もり、本の世界に遊び、読書に疲れれば夢の世界に遊び、日を送れば良いのだ。
 親爺は特大サイズの綿入れ半纏を通販で見つけ買い込んで愛用しているが、これは良い。
 巣穴で過ごす冬眠用の防寒着にこれ以上ふさわしいものは無いようだ。


01/22
 ずぼら親爺が久々に装備を着けて屋根に登ってみた。
 わが家の屋根は融雪装置が利いているので、雪は残らないのだが、玄関の真上数メーター幅の小屋根部分だけは、「ノマドメ」
と呼ぶ雪の落下防止用突起が瓦に配置されていて雪が落ちにくい。例年ならここの雪もやがて溶けるのだが、これだけ降り続くと
流石にその部分だけ覆い被さってきて、その真下が通路だから返って危なくなってくる。
 流石の親爺もこれは見るに見かねて屋根に登ってこれを落としたのだが、融雪装置のお陰で屋根の上は非常に滑りやすくて危な
い状態なので、オカカが心配して窓からあれこれ注意をする・・・・・。
 その上ずぼらで運動不足以前のメタボ親爺なので、2すくいもシャベルを振ると猛烈な息切れでゼーゼー・・・。
 昔なら2、3分で片づけただろう仕事に30分はかかって、しかもその間の実働10分・・・・・。
 いやになって半端仕事で切り上げて、親爺が屋根から落とした雪はオカカが一人で片づけた。
 「五歳も若いんだから体力もあるの。」だそうで、本当に親爺より強い・・・・・。
 屋根の上で息切れする親爺。息切れで殆ど仕事にならない・・・。


01/21
 僅かに青空がのぞき、僅かに日が射しただけでも、雪降りの日々に飽いた親爺とオカカには嬉しい。
 今日は少し凍みが緩むのを待って、町場に買い物にでも出るかと相談中だが、道路状態が気がかりだ。
 


01/20
 今日から大寒。すでに2mも雪があって、今までが小寒でこれから大寒だとは、もう勘弁して欲しいものだ。
 夕べからさらに4〜50cmも雪はかさを増し、山里は雪に埋まっている。
 雪に埋まっても車が走れる道路は何とか確保されているし、電気もガスも水道も、所謂ライフラインは全て確保されているし、生
活に支障はないはずだが、ぼちぼち家屋の被害などが出始めている。大概が屋根のひさしが折れると云った程度だが・・・・・。
 幸い今のところ雪囲いもしていない親爺宅だが、屋根の融雪装置のお陰で家の被害はない。
 でもこれ以上の雪が降ると本当に雪に埋まりそうなわが家ではある・・・・・。庭先の雪がもう・・・・・・。


01/19
 雪国の冬は長い、と言っても我が山里でさえ実際に雪に埋もれてしまうのは一二月末から二月半ばの二ヶ月足らずろうか・・・。
 勿論あと二ヶ月あまりも雪がある山里だが、不便を感じる程の雪ではなく、農耕作業などは出来ぬが普段の生活に支障はない。
 が、この埋もれてしまう二ヶ月足らずが実に不便で、我が山里の人口減少の最たる理由となっているのは間違いない。
 こんな作業が余り苦にならないのも体力に自信のある四〇代半ばくらいまでだ・・・。


01/18
 芦峅寺が豪雪地帯と呼ばれる理由を再認識したこの雪だ。久々に2mを超す積雪で、村人の疲れもかなり酷くなっている。
 もっともそれは、この雪と徹底的に戦おうとする身の程知らず・・・失礼、勇敢な村人の話で、親爺などは最初から雪に埋まって
過ごす覚悟が出来ているから、必要最小限の除雪にとどめていて、ちっとも疲れては居ない。
 雪と戦おうなんて馬鹿馬鹿しいというのが親爺の持論。だから降りしきる雪の中で庭先のどうせもよい空間の雪までせっせと融
雪溝に突き落としている働き者は、親爺には理解しがたい。
 まぁ、人のする事である、とやかくは行言わないが、お節介なこの手合いが親爺宅の庭を見てどうのこうの言ったりすると親爺は
腹を立てる。「大きなお世話」だからで、建物や構造物がどの程度の積雪に絶えうるかは山小屋経営30年を超える親爺は熟知し
ているのである・・・。で、その手のお節介者の言には「ふんっ!」と一瞥もくれず返事もせず、腹の中で「馬鹿野郎!」と怒鳴りつけ
て置くことにしている。
 それはともかく、雪の止み間の青空は無条件に嬉しい。


01/17
 雪は未だ降り続いて、どこもここも覆い尽くす積もりのようだ。
 覆い尽くされてもさほど困らない親爺とオカカだが、勤め人や学生は大変だ。わが家もかつては富山市内の高校へ通う娘や、
徒歩通勤ながら(約50歩)勤め人だった親爺が居たので、それは大変だったのだ。
 鉛色の薄暗い空からは雪が降り続いて、この薄暗い鉛色は冬の神様が、大量に溜め込んだ雪の色なのだ。
 去年もそうだったが今年も冬の神様は惚けているようだ。雪もたまには一息つかせないと手持ちが無くなるぞ〜!


01/16
 降るわ、降るわで、もう2mも積もってしまった雪だ。
 それでも、これはいよいよ芦峅寺の冬になってきた、などと親爺はのんきに構えているだけ。今さらばたついたところでどう
なるものでもないからだ。
 凍えぬだけの燃料と、飢えぬだけの食料があればそれで良くて、後は春をじっと待って居るばかりなのだが、その待っている
間を絶えるだけの忍耐力といおうか、気力といおうか、とにかくそんなものが要る様だが、それとて考え方次第、気楽な休眠期
間と思ってゴロゴロしていれば良いのだ。
 玄関前の石段が雪の廊下になった。


01/15
 良く降る。
 もう今年も、立派な大雪だろう。窓から見える外の景色はまごうかた無き「山里の冬」。
 もう60年近く眺めている景色なので今さら驚きはしないが、ぼやきとため息が年々大きくなってくる。
 雪国の越冬生活はやはり厳しい。
 居間の窓からのながめが凄まじい・・・。


01/14
 昨夕、心平がウサギの肉を届けてくれた。
 雪もずいぶん積もったのでそろそろウサギ猟には最適の頃なのだ。雪は少し深い(新雪で柔らかい)が、人が歩きづらい分、
ウサギの逃げ足も遅くなる。だから体力に自信のある若い頃は、親爺もこんな時期をねらって出猟したものだ。
 芦峅寺の猟の伝統も高齢化が進みウサギのボイアゲ(追い上げ猟)などは人数もそろわないが、もう一つの「シノビ」と呼ぶ
猟方は、単独で静かに雪山を巡り、林の木の根の雪穴に潜むウサギを撃つというもので、大抵はスキーで雪山を巡るのだが
それでも深い雪で歩き辛く体力勝負の猟方でもある。
 が、親爺など今期は狩猟許可も取って居ない・・・。寂しい気がしないと云えば嘘になる。すっかり体力が無くなってスキーを
履いても、あっという間に息切れ、行動不能となるのが目に見えているが、それでも使い慣れた鉄砲を背に雪山に出猟する
昂ぶりは、未だ身内に潜んでいる。
 心平は今が盛りだ。シノビで○×山(これは近しい仲間以外決して明かさぬのが決まり)方面で、雪が深く、スキーを着けても
太ももまでのラッセルだったそうだ。
 これだけのウサギを一時に背負って来るだけでも疲れたろう。


01/13
 腹にくるノロウイルス性の風邪がはやっているらしい。
 先日週末帰宅していた娘がこれにやられて、「次は父さんかも・・・」と言っていたが、その予言が当たった様だ。
 24時間心電図の検査結果を聞きに今日も病院へ出かけたついでに、先生にお願いして、その薬ももらって来ておいて良かっ
た・・・。心電図には大きな異常もなく安心して帰宅したが、午後から二度ばかり下痢をして、肩こりと頭痛もして、早速その薬を
服用した。オカカ曰く「お姉ちゃんが、風邪をもらって来て、父さんが即感染。わが家の冬の恒例だね。」
 病院の行き帰りに通る道も今日は除雪が行き届いてさほど酷くはなかったが、北陸特有の冬の景色は、うら寂しさばかりが際
立ってしまう。


01/12
 今朝は久々に早起きした。9時に病院の予約があったからで、24時間心電図を着けてもらってきた。ぶくぶく太ってメタボの親爺
は流石に心臓も心配で、毎年この検査や、自転車漕ぎの心電図検査をしていただいている。
 今朝は1時間も前に車で家を出たのだが、雪が酷くてしかも朝の通勤渋滞もあって、普段なら30分余りで到着する病院まで、しっ
かり1時間・・・。しかも帰路は雪が更に積もり、山里に近づくにつれ道の雪は圧雪となりわだちが出来て危ない状態。酷いのろのろ
運転の渋滞に又つかまった。隣村から芦峅寺集落に賭けての4〜5kmは道路に融雪装置が設置されているので黒々と路面が出て
いて、快適だが、帰ってこんな日は平野部の、町場の道が危ないようだ。
 家へ帰り着いて、また降りが強まって、今日はもうどこにも行かずオカカと寅さんでも見て過ごそうと思っている。
 写真では判りづらいが我が山里で云う、「キチガイ空」、或いは「向こう先の見えん降り」の今日だ。


01/11
 寒の中だから寒いのは当たり前なのだが、親爺は「寒い、寒い」を連発してしまう。
 やはり人間は歳を取ると寒さに弱くなるようだ。祖母が元気だった頃(もう40年近く前のことだ・・・)冬になると着ぶくれるほどに
厚着をして「何枚着ておるやら、自分でも解らん。」と周囲を笑わせていたものだが、その祖母の厚着が良く解る様になった。
 最近は便利なものが流行って、室内で着ていられる極薄手のダウンジャケットがあるというので、早速買いに行った。が、若者
用のそれは、とても親爺には着られない・・・細身過ぎ、窮屈で着られないのだ。
 ええい品揃えの悪い店だ!!他で買おうと、得意のネット通販でいろいろ調べているが、ここまで太るとなかなか適合サイズが
無い・・・。親爺がもっと痩せればよいのだろうが・・・。
 で、今朝も「寒い、寒い」を連発しながら凍りついた杉木立の写真を撮っている。


01/10
 一晩で一mの雪など立山では当たり前のことだが、我が山里でも大雪の年には間々あることだ。
 今年は大雪とも言えぬが、夕べから今朝までに60cm程降り積もった。「普通」の冬と言ったところだろうか。
 それでも雪が降るとじっとしていられない連中が多く、休日の朝だというのに除雪機械が煩い・・・まあ、親爺とオカカに休日と言
う特定の日は余り意味がないのだが・・・。
 十時直前の今、薄日が射してきた。冬の山里の天気は立山の天気と同じで、実に気まぐれだ。だから信用できない。良い天気
に騙され喜んでいると、がっかりすることが多いので、フンとさりげなく明るい戸外をちらっと見るだけで、騙されないようにしている。
 こんな事で喜んで堪るかと思うのだが、でもどうしても外の明るさが気になって、又チラリと見てしまうので、底意地の悪い冬の神
様は面白がって、又雪を降らせ始めた。
 冬の神様の意地の悪さは定評がある。逆らうだけ意地悪をするので、知らん顔をしているに限るのだ。


01/09
 今日の鉛色の空は北陸特有のものだと言うが、成る程冬の太平洋側など澄んだ青空が冬の空らしい。
 まあ、住み慣れてそんなことは何とも思わなかったのだが、最近は妙に青空・・・正直に言えば日だまりのぬくもりが恋しいと感じ
る様になってきた。
 昨日は青空が広がり、オカカと上市町まで買い物に出かけた。上市町からは剱岳の早月尾根側がよく見える。
 カメラを持ち合わせていなかったが携帯で何枚か撮って見た。


 まあ、携帯の写真だからこんなものか・・・・・・・。


01/08
 昨日から寒の入りで、小寒に入ったそうだ。通りで寒さも厳しくなった。
 今朝も小用に起きたら寒くて、寝室のヒーターのスイッチを入れた。数分で室温が上がり、夜具の仲間でぽかぽかしてきたから、
又眠気に誘われた。流石に二度寝はせず起き上がって窓外に目をやれば全てが凍てついている様に見えた。
 寒中の我が山里はコレデイイノダ。でもうかつに外に出て氷りに滑って怪我をするといけない・・・君子危うきに近寄らずと言うで
はないか・・・。親爺は自重し、今日も外出は可能な限り謹んで、家でずぼらを決め込むだろう・・・。
 旧立山道に並ぶ親爺宅。両隣は早月小屋と剣山荘。


 一昨日剱岳方面から下山してきた山岳警備隊の面々が、親爺宅へも新年の挨拶に来てくれた。
 彼らは正月返上で早月小屋、馬場島に常駐して年末年始の剣岳登山の警備に当たっていたので、正月休暇もこれからだ。
 皆家族が居て、幼い子供もいるだろうに、正月でもその子供達とも過ごせない・・・。が、そんなことは気振も見せず、黙々と厳冬
期の剱岳で任務を遂行してきたのだ。なぜなら彼らは輝く伝統を受け継ぐ、富山県警山岳警備隊隊員なのである。ちょっと褒め過
ぎかも知れないが、この連中を見ていると親爺はすっかり嬉しくなってくるのだ。
 今の日本にも「世のため人のため」を真心込めて、愚直なまでに実践する、こんな真っ正直で気持ちの良い男達が居るのだ!
 時間が無いとのことで、お茶一杯もそこそこに帰ったが、本当はもっともっと大歓迎してやりたい連中なのだ。
 心の底から「ご苦労様。」である。


01/07
 正月七日である。
 朝から正月の「お飾り」を下げ、その幾ばくかを粥に炊き込み、正月七日の七草粥とするのが我が山里の習わしだ。
 セリ、ナズナ、ゴキョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ・・・が冬の七草で七草粥の草と言われるが、雪深い昔の山里で
はとてもそんな草は手に入らない。で、七日に下げたお飾りの、くり、かき、みかん、こんぶ、もちを五種の草に数え、越冬野菜の
大根或いは白菜等に黒豆を加えて七草と数え粥に加えたのが、我が山里の七草粥である。
 今朝もオカカが七草粥を炊き、親爺と二人食べたが、これは一食では食いきれぬ量だったので、きっと今日は昼も粥を食わされ
る事だろう・・・。
 冬の晴れ間の見える正月七日の朝だが、雪はまだまだ降り続く。


 下げたお飾り餅の大半は、オカカがこれを切って乾し、あられとして保存する。例年のことだ。


01/06
 年が改まって、気付くともう六日目だ。
 親爺の場合、剱御前小舎閉鎖中は毎日が休日だから正月も普段とさして変わらないが、回りも親爺と一緒にゴロゴロしている
と何やら少し心配になってくる・・・が、流石に六日ともなるとまた周囲は普段通りにもどり、ホッとしながらも、何やら少し肩身の狭
い気分で、親爺ばかりはゴロゴロし続けている。
 夕べから雪が降り出して、かなり積もった。50cmくらいだろうか。比較的暖かく、雪の少ない日が続いていたが、我が山里は又
雪に覆われた。
 こんな日は、親爺もオカカも外出をひかえ、おせちの残りを食いつなぎ「お籠もり」をする・・・。


2011/01/01
 親爺とオカカは三人の娘達と賑やかに、平成23年の元旦を、雪が舞う芦峅寺の山里で迎えております。
 本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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