小屋閉めが終わり剱御前小舎の全員が下山しました。
                                        親爺はこれからオカカと二人、気ままな冬ごもりです。
                                         で、ここに項を改めましたが、 例によって代わり映えしませんが、親爺の絵日記
                                        しばしおつきあいの程お願いいた します・・・。                                 
                                                                          2012/10/22 親爺 拝

                                         本日は2012年の大歳。本日を以てこの項は最終更新と致します。
                                                                          2012/12/31 親爺 拝


12/31
 お節料理はオカカとの共同作業で、一昨日辺りからぼちぼちとやっているが、気付くともう大歳となっていた。
 昨晩からちらりほらりと降り出した雪は、朝方見ると10cm程もつもり、いまもまだ断続的に降っている。例年通りの雪の
大歳という次第。
 娘らが三人か帰っていて、午前中は割と静かにしているが、午後遅くから夕飯過ぎともなると、居間は完全に占領され、
親爺は基より、オカカもその騒々しさに二階の親爺部屋に引き上げて来る。
 華やかで、楽し気で、賑やかで、若い娘らの居る家は、何ともいえず良いものだが、この親爺の幸せもそう長くは無いか
も知れぬ。又そうなってもらわぬと、親としては別の心配が出てくるのだ。
 各々早く良き伴侶に恵まれるよう願う気持ちと、今少しこの騒々しい程の賑やかな時が続いて欲しいという思いが交錯
する、そんな大歳の親爺である・・・。


           ぶりを焼き                                   生麩を煮て
 

           蕎麦や雑煮の出汁を引き                    祈りを込めて田作りを煎る大歳
 


12/29
 いよいよ2012年の辰年も、大凡60時間あまりとなった。
 辰は親爺の干支で、5回目で、60歳になった親爺だが、この次の辰年には72歳になっているので、無事又辰年を迎えら
れるかどうかは判らない。
 まあ、そんなことを想い乍ら年を越そう。
 親爺とオカカだけの日常がボチボチと賑やかになる。今日は三女、明日の早朝には次女が帰省し、長女は今日から休暇
で、もう昨夜からうちに帰っているからで、又三人の娘たちがそろい、その存在だけで華やかに家が賑わい、賑やかすぎて
親爺は嬉しいながらも、親爺部屋に籠もる事になるだろう。
 穏やかな陽ざしが、居間に射し込み暖かい日だ。


12/28
 昨夕は月が不動山の端から昇り、雪化粧した大日の上に輝いた。
 杉木立の雪は昨日の陽光だけでは未だ落ち切らず、5割方は未だ枝葉にしがみついている。寒かったのだ。
 今朝はどんよりとした空ながら、気温は幾分高く、寒さを余り感じない。
 親爺とオカカはこれから3日ほど、お節料理に精出す予定。
 これからとりあえず、餅屋に頼んである餅を受け取りに行く。


12/27
 積雪自体は大したこともないが、この寒さは堪える。
 東向きの親爺の部屋のペアガラスサッシの内側でさえ、隣の寝室でしばしストーブを焚くせいでか、いくらか霜が付いた
ように結露が凍り付いている。さすがに窓が凍り付くことはないが、かなりの凍みだ。
 薄いセーターの上にフリースを重ね着して、剱御前小舎にいる時のような格好で日を過ごしているが、居間は床暖と反
射式ストーブでだいたい20℃近くあるので快適だが、火の気のない部屋で何かしようとしても、暖房無しではとても過ごせ
ない・・・。即暖める必要のある客室には温風ヒーターだが、そこで半日以上も過ごすには反射式ストーブが経済的で、湯
を沸かしたり出来るのでますます良い。
 でも一番良いのはお日様の光。今日は快晴だからこの凍り付いた景色が何処まで緩むか、ちょっと楽しみだ・・・。
 寒い!!


12/26
 寒い絵が続く絵日記だが、年の瀬にこれだけ降られれば心持ちまで寒くなる。
 今冬の雪は2日ほど降って5〜60cm積もって、3日ほど降り止んで8割り方融けてと言う降り方なので、一週間も降り
続いて、雪下ろしの心配をしなければならぬ程の積雪となる事は、今のところ未だない様だ。
 とは言え未だ年の暮れ、本格的な冬はこれからだ。
 雪国の山里の暮らしは、そこの住み暮らす者が、年を重ねるに従って重くのしかかる。
 さて、親爺は今日もずぼらを決め込んで、本でも読んで過ごそう。これが60年山里に暮らす親爺の、雪に埋もれて過ご
す、山里越冬生活の極意なのだ・・・。


12/25
 夕べテレビで、今朝はこの冬一番の冷え込みになると言っていたし、寝しながかなり寒かったから、寝室のストーブのタ
イマーを入れて、7:00に火が付くようにして休んだ。もちろん7:00前に目覚めていて、それでもベッドから出るには寒すぎる
と思っていたら、ビーッと音がして火が付いた。有り難い起きるか・・・となればいいのだが、部屋が暖まってくると夜具から
手だけを出して本を読みかかる・・・。あっと言う間に8:00で、オカカに「起きろ」とやられてしまった。
 忙しい身ではないのでこんな朝もあるが、4:00には起きている山小屋での生活習慣も、小屋閉めから二ヶ月経った今は
すっかり影を潜め、親爺のずぼら生活の習いに、完全に戻った・・・。
 今日はそろそろ食糧の買い出しに行かねばと、オカカと相談しているが、道路もバリンバリンに凍り付いているので、気
をつけねばなるまい・・・寒い!!
 


12/24
 ホワイトクリスマスは毎年のこと。イブの今日は朝から降っているが、積雪は現在約25cm・・・。
 日には余り関係ないが、年の瀬で、わが家では初代、佐伯宗作・ヒデ夫婦の軸を床の間に正月を迎える事にしているの
で、今朝思い出したように掛け替えた。
 家を住みやすいようにリフォームしたため、床の間のある和室は八畳の座敷だけで、ここは仏間、客間も兼ねている、
玄関脇の部屋だが、正月のお飾り(いわゆる鏡餅)もこの部屋でないと余り似合わない。
 昔の家は冠婚葬祭を自家ですることを重視して建てられ、間取りをした。昭和39年築のわが家もまさしくその通りで、当
時としてはハイカラな家だったが、収納の少ない床の間付きの和室が一階に二部屋、二階にも二部屋あって、その中で、
押し入れは、一間幅が一つ、半間が一つと云う少なさだった。
 今は、3年前のリフォームで、ずいぶん住みやすいように造作を変えたので、昔の家の面影は殆ど無いが、この部屋だ
けは、殆ど手つかずにしてある。和室のリフォームは高額なので、手が出しづらいのもあるが、昔ながらの部屋が一部屋
有るのは落ち着いて良いものである。
 床の間から祖父と祖母が還暦過ぎの孫を見て微笑んでいる・・・。


 折角溶けきっていた雪が又降ってきた。大したことはないと思うが・・・。


12/22
 今日の芦峅寺は雨で、気温も2〜3℃ある。宮の前にさしかかり中をうかがうともう初詣の準備だ。電線を張り巡らし、
照明用の提灯に入れる電球の設置らしい。
 毎年のことだが、杉木立に覆われ昼なお暗い境内の鳥居から祈願伝までの参道は大凡100m足らずか?その間に電球
やら提灯やらがずっとぶら下がるのだから結構な仕事だ。もちろん専門の電気屋さんが施工している。
 この雨で宮の杉の雪は全部落ちて、境内の雪もかなり少ない。この分だと初春の朝は雪の無い朝となるかも知れない。
 まあ、多分に希望的観測ではある・・・・・。


12/21
 これは陸軍2式戦闘機”鍾馗”だな・・・ちょと2〜3年前の写真から山の写真を探していて、盛んにプラモをやっていた時
の写真群に遭遇、こっちに完全に気を取られ見入った。
 親爺のすることだからそんなにたいした作り込みも出来ず、まあ、万年ビギナー宜しく一人満足しているばかりだが、
老眼にむち打って不器用な手指を操り細かい塗装、ピンセットを使う組み込み・・・・・。
 何やら又血が騒ぎ出して、買い置きしてある五式戦や、田宮の評判高い1/48スケール零戦などなど、ちょと引っ張り出
してきていじり始めた・・・。
 手を出したが最期、この年末に向かって夢中になるとまずい・・・。せめて年明けからと我慢している・・・。


12/20
 今日も朝は凍みては居たが、青空が広がっていたのでいくつかの雑用を片付けようと外出した。用事と云っても掛かり付
けの病院で、正月用の薬をもらってくるついでの買い物などで、オカカも一緒に出かけた。
 さすがに村はずれから隣村のトンネルを抜けるあたりまでは少し道路も凍っていて、凍結した坂道で、エンジンブレーキを
利かせ、減速しながら走っていると、中型トラックが車間も取らずあおるようにくっついてきた。普段でもあおられるのは良い
気持ちのものではないが、冬の凍り付いた道であおるとはバカな奴だと思いつつも、少し広いところで左によけて追い越さ
せた。まあ、こんな時は安全な場所で道を譲るに越したことはない。
 で、用事を済ませ帰り道、オカカが”スペイン石窯パン工房”と云う看板をめざとく見つけ、かって行こうというので立ち寄った。
で、買い込んだパンが今日の昼食兼おやつ・・・。
 カレーパンが中身たっぷりで、かなり美味かった。親爺は少しずつ目方を増やしている・・・・・。


12/19
 昨日は予想通り雪になり、雪足は寝しなをピークに強まっていったが、未明にはもう降り止んでいたようだ。
 積雪は20cmあまりか、窓を開けると来拝山が見事に白くなって、大日は見えないが青空が広がり始め、陽も射してきた。
 新雪の後の晴れ間は気持ちが良く、白い雪面に陽がはじき返るので賑やかなくらい目映い。
 何日もぐずぐずと降り続き、人を鬱にし閉じ込めてしまう雪はイヤだ。半日ほども降って止み、すぐ融ける雪ならば邪魔には
ならないどころか、楽しめるのだが。
 確かに美しい、山里の雪景色ではある・・・。


12/18
 心配した積雪も殆ど融け、不動山も地肌が出た。一時は1mを超え、根雪かと覚悟したが、ひとまず融けたようだ。
 が、どうも今朝の冷え込みは、今降っている雨を氷雨から霙に、そして雪に変えそうな気がする・・・イヤだイヤだ・・・。


12/17
 又政権が変わる。選挙の結果は予想通りになった・・・が、今回の選挙では、前回あれほど連発された”マニフェスト”と云う
言葉が殆ど聞かれなかったし、マスコミでも使われなかった・・・。政権の移行よりもそのことの方が不思議だった。
 そもそもマニフェストなる言葉は外来語だから細かいことは云わない。当初マニュフェストと表記されていた記憶があるが、
現在はマニフェストと表される・・・と云った怪しげな、なじみのない言葉で、親爺なども実に面食らって、「こりゃ何じゃ」と思った
ものだが、それがいわゆる選挙公約、声明文、宣言書というような意味で使われているとようやく少し馴染んだ今回は既に過去
の言葉となっているようだ。
 何だか、無知な国民をたぶらかす怪しげな新造外来語を以て政権を取り、今回の選挙で失脚した政党を象徴する言葉のよう
だと可笑しくなった。
 まあ、今回政権を取った政党にしても、国民にさんざん愛想づかしを喰って失脚した前科持ち、ましてや新興宗教団体を母体
とする「政教分離」の原則にさえ抵触する政党もどきとの連立を、背に腹は代えられぬと平然とやってのける厚顔無恥な、世間
知らずなぼんぼんの多い政党なので、期待は出来ない。
 それでも何か変化をと、いじらしいまでの我々国民の(庶民の)声は、大豪邸に住み、米の値段も、カップヌードルの値段も知
らない(知る必要のない)雲の上の人々(親爺もシーズン中は雲の上にいるが・・・?)には届きそうもない。
 限界集落となった我が山里には一台の選挙カーも来なかったようだ・・・。そんな山里にも、割と多くの年寄りと、若い人や子供
たちも僅かばかり、日本国民として住んでいるのだが。


12/14
 昨日は久々に山小屋組合の会合で、親爺仲間が集まった。もちろん殆ど顔ぶれは変わらぬが、気付くとボチボチ二代目
の若い顔が目立ち始め、剣山荘、剱沢小屋、雷鳥沢ヒュッテ等々も若い(若いと云ってもアラフォーだが・・・)親爺たちが会
合に出席している。
 かつての青年部長の雷鳥荘の若(ワカ・・・と言っても今や65歳)が理事長になって、親爺たちの同世代は既にロートル組
になっている・・・昨日の顔ぶれの歳順に、ロートル組は内蔵助山荘、黒四ダム山荘、雷鳥荘、みくりが池温泉、早月小屋
と来てその次が剱御前小舎、室堂山荘(同級生)、天狗とこの辺りまで。後は中堅で、真砂沢、一の越、五色、大日、大日平
で、この後が若手となるわけで、剣山荘、剱沢、雷鳥沢ヒュッテそして仙人のまー君などは親爺の長女の同級生だ・・・。
 ため息をつきながら、暮れて行く立山連峰を仰ぎ見た。
 富山平野の外れ、立山町平野部から眺める立山連峰。


12/13
 雪が早く、未だ師走半ばだというのに山里はもう白く覆われて、黒々と地べたの見えるのは融雪装置の利いている道路
ばかりである。
 意外とこんな冬の始まりは、たいした雪にならぬ冬で終わる事もあるが、これは、いきなりの強烈な積雪に一時休眠して
いた大雪免疫を呼び覚まされた雪国人の云う、「たいした雪にならぬ冬。」だから、実はやはり大雪の冬となるのかも知れ
ないが、そんなことは誰にも未だ解らない。
 これから来春まで、こんな景色が三ヶ月余りは続くのだ。


12/11
 そろそろ年賀状の心配を・・・等と云うのも、もう遅いのかも知れないが、雪に降り込められて他にすることもないから
20日までには何とか仕上げよう。
 一昨日、タケちゃんが律儀にも年末の挨拶に来た。そのタケちゃんが「ハンパナク甘いですから。」と、タケちゃんらし
い口調で差し入れしてくれた柿は実家の庭の柿の木で実ったものだとのこと。タケちゃんの実家は高岡市で、オカカと
一緒で、オカカの実家の庭にも柿の木があって、それも極めて甘い柿だった。きっと高岡というのは甘い柿の育つ土壌
なのだろうと話しながらオカカと二人で頂いた。なるほど半端ではなく甘い・・・いや、今風にハンパナクアマイ・・・。
 外の雪を見ながら暖かい部屋で甘い柿を喰う。そんな何気ない時間が実に愛おしい。


12/10
 これで3日間、雪は降ったり止んだりししながらもしつこく続いて、積雪はついに80cmを超え、1mに近くなっている。
 融雪装置を入れているので、大屋根の雪がずり下がり、二階の窓を開けたらちょうど落ちる直前の雪が覆い被さっていて、
雪洞から外を見ているような具合になっていた。
 予報では、今日も明日も明後日も未だ雪マークが並び、これは”一おろし”降り積もるやも知れぬ。一おろしと云うのは屋根
の雪を一度下ろさねばならぬ程の積雪量のことで、概ね1.5m。
 融雪装置のおかげで、雪下ろしと雪囲いは不要なわが家だが、その分灯油の消費量が凄まじい・・・。 
 今冬はこれが根雪になるやも知れないが、珍しいほど早い積雪だ。


12/9
 昨日の昼過ぎから、本格的な雪になってしんしんと降り続いた。夕べも休み無く風もともない吹雪いたようだ。
 今朝は5時前に久々に除雪車の音で目覚めた。目覚めたついでに小用に起きて、眠れぬので夜具から手だけ出して本
を読み始めたが、妙に寒くない。恐らく屋根の融雪装置が働いて居るからだろう。
 明るんで、洗面を終え親爺の部屋から外を見れば・・・・・。
 いよいよ冬の到来。招かざる雪がどっしりと居座っている。


12/8
 今日も雨だが、雨はすぐに流れきって、雪のように積もらぬから良い。それにしても鬱陶しい日が続く・・・。 
 昨夕は又、三陸沖の大きな地震で驚いた。そしてテレビなどのマスコミの対応の早さに感心し、特に厳然としたNHKの
放送には瞠目した。
 さすがに東北大震災の教訓を無駄にしていない。あのくらいの緊迫した厳然たる避難指示をしてこそ国営放送だ。
 今回こそ幸い何ともなかったが、極めて緊迫した状況で考えられ得る最良の報道だったと思ったものだ。脱帽!!

 親爺もすわと云う時には、人助けまではもう出来ぬかも知れぬが、せめてオカカと二人足手まといになって人の迷惑とな
らぬ様、最低の体力も何とか温存し、常々万全の備えで「治にいて乱を忘れず」の心構えで暮らさねばならぬと痛感した。

 人の世など、明日は何があるか、全く解らぬものだ。こんな天気の下で、今朝からそんなことを親爺は考えている・・・。


12/7
 夜具の中ではさほど寒いとも思わなかったが、起き出して食事をし、居間の定席に座り込んで新聞を読んでいる中に
寒いと感じた。ひょっとすると夜が明けてから冷え込む、という事もこの時期ではありがちなので、そうかも知れぬ。
 「言葉は世に連れ変わる」と言うが、最近気になるのが「茶道」・・・これは親爺たちの年代にはどう考えても「サドウ」なの
だが、NHKを始め最近のテレビではこれを「チャドウ」と発音している。
 気になって仕方がないのでいろいろ調べたら、サドウは元々チャドウが正しいとのことで、権威ある辞書でもチャドウの
読みが茶道となっているらしいし、裏千家がチャドウ、表千家がサドウなどと・・・云々。
 まあ、国民から金を取って国営放送として、天下のNHKが放送するのだから、チャドウも何か根拠有るとは思っていたが、
我々の世代はこれをサドウと読むことを常識として、チャドウは間違いだと習い暮らしてきた。だから、映画の中でも寅さん
が喫茶店を「キッチャテン」と言うギャグもすんなりと可笑しかったのだが、これも通用しなくなるときが来るかも知れない。
 が、本来これが正しかったのだと、ある日突然一般常識として世間に広く浸透し通用している言葉を、辞書上の正誤のみ
を盾に、大多数がはてなと首をひねったり、読み間違いと感じたりする耳障りな読みに、強引に変えて良いものだろうか?
それならば正すべき言葉が他に掃いて捨てるほど有るのではないか・・・。
 だから親爺にとって茶道はあくまでサドウであって、チャドウなどとは何やら間抜けな読みにしか聞こえない・・・・・とは言え
そもそも親爺には茶道の心得など無いのだから、まあどうでも良いような話ではある。


12/6
 爆弾低気圧で北陸、北日本は大荒れとの予報だったが、例によって外れて、拍子抜けするような暖かい、雪も殆ど降ら
ない朝を迎えた。それにしても「爆弾低気圧」とは穏やかではない比喩で、確かに転ばぬ先の杖で、用心に越したことは無
いが、必要以上の不安を与えるような自然現象に対する比喩は、こと気象予報においてはいただけぬ。ましてや下駄占い
の確率をやや上回る程度のお粗末な確率でしか「気象」を予報できぬのなら、なおさらのことである・・・。
 等と例によって口から出任せの悪口雑言・・・と、テレビで凄まじい荒れ模様の秋田や北海道の画像が・・・なるほど我が
山里だけが北陸、北日本ではない、予報エリアがでかすぎて、大方当たっているところもあったのだ・・・。そうか女大まかな
予報なら当たるところもあるはずだ・・・。
 テレビと云えば、昨日逝去された中村勘三郎丈の子息二人の、健気でひたむきな、コメントや舞台で熱演する姿に、オカカ
と二人、涙をこらえきれぬ程心打たれた。
 「親の死に目に会えぬような役者になれ」との家訓の中で育ち、昨日逝った十八代はこの家訓を守り十七代の死に目には
会っていないそうだ。そして、現、勘九郎、七の助の両子息もまた、厳しいこの家訓に従ったのだと云う。
 平素は華やかで、梨園の御曹司と呼ばれる歌舞伎俳優の彼らが、幾代にもわたり受け継ぐ伝統の大きさが、如何に苦難
をともない受け継がれているものであるかを、ちらりと垣間見た様な気がした。
 それにしても勘三郎丈の逝去は早すぎる・・・惜しみて惜しみきれぬ。
 山里は爆弾低気圧の不発で、小雪はたまに舞うが、かなり穏やかな日となっている。


12/5
 寒々とした冬枯れの野山は、寂しさだけが漂う。
 十八代中村勘三郎丈が逝去された。親爺もオカカも歌舞伎が好きで、特に中村勘三郎丈は、勘九郎当時から大好きな
歌舞伎役者だった・・・。
 歌舞伎界では未だ未だ働き盛り、これからどんな素晴らしい舞台を見せてもらえるのかと楽しみにしていたのに、あまり
にも早い旅立ちだった。一歌舞伎ファンとして残念で仕方がない。
 去年の今頃、東京の平成中村座で見た舞台が、親爺たちの見た十八代の最後の舞台となった。観客席まで下りて演じ
る勘三郎丈のサービス精神は格別で、汗の臭いがするほどの指呼の距離で熱演する丈を見た事が忘れられない。
 心よりご冥福を祈るのみ・・・・・。合掌。


12/4
 わが家の「猫額庭」の雪も一応溶けて、それでも朝から氷雨の降る師走4日だ。
 まあ、雨だから未だ良いが、これはまもなく雪になりそうな冷え込みだ。くわばらくわばら・・・・・。
 昨日買い物をしてあるので、今日は外出することもなく、今日はお籠もりで本でも読むか。


12/3
 昨日は「朝ぴっかり」で、あまりさえない一日だったが、今日は雲一つ無い青空で、お日様が暖かい光を大盤振る舞い
している。でも日陰はやはり凍り付き、寒い。
 こんな日は出来るだけ雑用を済ましておこうと、オカカと二人町場まで下りた。
 あちこちで雑用を済ませ、郵便局で年賀状も買い、食糧の買い出しに・・・。何やらかやらと買い込んだが心なしか物が
高くなっているような気がして、オカカに訪ねると、「今日はちょっと高い気がするけど、店によって、日によってずいぶん
違うから。」とのこと。なるほど魚や、肉や生鮮野菜などはさもありなんと、親爺も納得・・・。
 帰り道立山があまりにもきれいなので写真を写そうとしたが、こんな時に限ってカメラを忘れている。仕方なく携帯で撮
ったが・・・・・。
 町場から見る立山もなかなか美しい。


12/2
 昨日の雪は夕刻から小ぶりになって、昨夜はちらほらと月が出ているのに雪が舞っていて、結局20cmまでは積
もらなかったようだ。
 今朝は青空が広がる冬晴れ。未だ除雪や雪下ろしを心配するほどの雪ではないので、素晴らしい山里の雪景色
を眺め悦にいるゆとりがある。が、さむい・・・あちこちバリバリに凍てついている。
 もちろん居間の床暖房と石油ストーブは大活躍。その存在をぽかぽかと暖気を放ち主張する。親爺は着ぶくれて
居間の暖かい場所をしめ動かない。ストーブには鍋をかけ、昼職、夕食用の温かい豚バラ野菜スープを煮込んでい
る。未だ根雪にはならぬだろう、冬の入り口の師走二日だ。


 山里はすっかり冬景色だ。


12/1
 朝食を済ませ、居間に腰を落ち着け、ふっと窓を見やると・・・!!もう降り出した・・・わずか10分あまりで、外はこんなに
白くなった・・・。とうとう師走朔日は雪となった・・・。・・・・・・・9:05
 

 大寒波襲来で雪の師走初日となるとの予報だが、まだ雪のない師走朔日の朝を迎えている。
 流石に窓を開けると寒く、アテにならぬ天気予報もこの雪予報に関しては当たるかも知れぬ。久々に早起きして、親爺
部屋にストーブを焚きPCに向かっているが、足下から冷え込んでくる・・・。
 長女が又引っ越し(官舎に冬期避難?)で、親爺も午後からお手伝い・・・こんな動きたくない日に限って用事が出来る
ものらしい・・・・・。まぁ若い元気な仲間達がお手伝いに来てくれるのだそうで、親爺など、例によってお飾りだろうが・・・。
 冷え込みは強まる一方。これはいけない・・・・・。・・・・・・・・・・6:50


11/30
 霜月も終わり、回りは心なしか幾分慌ただしくなって来た。しかしこれはあくまで回りのことで、親爺自身は余り世の中の
動きには関与せず、我が道をのんびり歩んでいる。
 旧大山町立図書館は、現在は富山市立大山図書館となっているが、親爺の居住する立山町の町立図書館より近く、蔵
書も多く、以前から越境してよく利用しているが、最近はオカカが特によく利用している。
 わが家から車で15分、一回に十二冊まで、二週間にわたり借り出せるのだ。
 図書館には、本屋で見かけてもちょっと手が出しにくい価格帯の本もたくさんあり、実に有り難い。高価で貴重な本も、ゆ
っくりとわが家でただで読ませてもらえるのだから。
 最近は電子書籍端末で青空文庫からダウンロードした、古き良き時代の、今や古典と呼ばれる名作を再読、あるいは初
読して、悦に入っている親爺だが、紙製の本が不要だ等とは口が腐っても云わない。電子書籍もこれは又、現代にふさわし
い利便性と手軽さを持ちどんどん活用するつもりだが、やはり本来の読書とは、紙の本の、紙の項をめくり読み進んでこそ
読書なのだと、全く何の根拠も、理由もないが親爺はそう信じているのだ。
 
 で、オカカが借りてきてくれた親爺の好みそうな幾冊かを、ありがたく手にし、これから項をめくるつもり・・・。
 長閑な霜月最終日の午後だ。
 


11/29
 小屋締めが終わると大凡、年に一回の健康診断を受けている親爺だが、今日は掛かり付けの篁病院へ出向いた。
 親爺には長年の喫煙による、肺気腫というやっかいな持病がある。その上肥満体だから更に不健康だ。
 今日も、胸部レントゲンから始まり、動脈硬化の検査、自転車をこぐ様な心電図測定、超音波検査、24時間心電図装着
の主に循環器系の検査を受けた。血液検査、血圧測定などは一ヶ月に一回くらいの割合で受けているし、胃カメラなどは
この後、3月末頃に受けるのが習慣になっている。そして何時も言われる事は・・・・・ハァ〜・・・。
 優しい先生は「食事を少し減らし、間食だけは止めた方が良いですよ。徐々に生活を改善して行きましょう。」と、あくまで
優しく諭して下さる。ありがたい話だ・・・。心入れ替え、薬もしっかり飲み、間食も控えよう・・・。親爺は反省しきりである。
 未だ雪が残る村はずれ。


11/28
 昨日とは打って変わって、青空ものぞく穏やかな今日だ。所用を終え、富山市内から家路に向かう途上、剱が大きく目の
前に見えた。思わず路肩に車を寄せ一枚写した。立山の北の端を剱とするなら、南の端は薬師だ。真っ白にたおやかに
峰が見えて、これも写そうと思ったら、カメラのバッテリー切れ・・・・・。まぁこんなもんだ、親爺のカメラなんて・・・。


11/27
 目は覚めていたが、夜具から出ずに本を読んでいると一足先に起きたオカカが、「ひゃ〜っ!外は真っ白だ〜!!」と叫
ぶ声がした。「うへ〜っ」と間抜けた声で親爺も起きて、カーテンを開けると・・・・・2,3aだが雪が積もっていて親爺もすぐ起
き出した。
 別段生活に差し障りはないが、オカカの車はまだスノータイヤ(昨今はスタッドレスとやら呼ぶらしい)に換えてないので、
今日移動するとすれば親爺のライトバン(剱御前小舎専用小型貨物車で四輪駆動)が足となる。.何分この車は一年中スノ
ータイヤを履きっぱなしなのだから。
 で今日は、ちょこっと買い物だけ済ませて、家で籠もっていることにした。
 未だ根雪にはなるまい・・・・・・・・・・。
      ”山里の雪を迎えて静かなり”


11/25
 真っ青な空が雲一つ無く広がる朝だ。真っ白な大日が窓外に聳え見えて、山里は長閑な時間が流れている。
 親爺は最近「青空文庫」から、もはや古典と呼ばれる名作の数々をダウンロードし、主に朝晩、夜具の中で読みふけって
いる。此は、電子書籍端末(リーダー)を入手したので、実に簡単に読めるからで、僅か200g余りの躯体に何百冊もの本
が収まるそうだから、旅先や、シーズン中の山小屋へ持って行くのに最適だ。
 最近読んだ本で、再読で面白かったのは「坊ちゃん」、初読では織田作之助の夫婦善哉。随筆では古川録波と佐藤垢石
の様々なもの・・・・・。
 思わぬ作家の思わぬ作品に出会い瞠目することたびたび。古い文体に触れるのも又楽しいものだ。押川春浪の「本州横
断−癇癪徒歩旅行」など実に馬鹿馬鹿しく、可笑しく、面白い・・・・・。


11/24
 親爺のずぼら絵日記は最近、クッキング専科のようになっているが、昨日もあっという間に作れる親爺の曰く”ミンスミート
パイ・オールドタイプ”を作った。
 午後のロッヂ太郎訪問が楽しくて、ついつい帰宅が遅くなったが、ミンスミート仕込みからパイシート包み、焼き上がりまで
が、大凡30分だから気軽に出来(ただし、パイシートは冷凍の既製品)美味いので、オカカや娘たちにも評判の良い一品。
 レーズンとドライフルーツのパインやプラム、マンゴー等をとにかくみじん切りにして、親爺はこれにタマネギのみじん切り
と挽肉を混ぜる。(普通ミンスミートと云うとドライフルーツだけで肉は使わないようだが、古くは使っていたのだ。)これらを
フライパンで加熱し、バターを加えても云いが、好みの味付けをする。親爺はシナモン、バジル、こしょうにトマトケチャップ、
ウスターソースなどで適当にまとめ、火が通ったら、これをパイシートの枚数に等分し包み、後は220℃くらいで数分も焼け
ば出来上がりだ。好みでタバスコをかけて喰う・・・。美味。


11/23
過日から熟成中の豚肉がかなり良い具合になった。 二週間でこんな良い状態に出来るとはさすが吸水シートは優れもの・・・。
 

一部薄く切ると生ハムみたい。良い臭い。もちろん生ハムじゃないからこのままは喰えない。さっと火を通し味見・・・。ちょっと塩が薄かったか・・・。
 

 得意の土鍋をセットして、肉を網に乗せ、着火・・・煙が出だしたら弱火にし、約25分、土鍋の蓋が辛うじて2,3秒触れる温度。
 

 でも燻し時間は好みもあるので何分などと云う事はなく、自分が美味いと思う時間?位が良いはず。
 で、今回もまぁ親爺が美味いと思うベーコンになるはず・・・。明日まで寝かせよう・・・。
 


11/22
 立山の天気を見る時、この鍬崎山がバロメーターになる。
 今日の立山は午後から良かったが、さて連休の明日からは・・・・・。予報はパッとしない・・・。


11/20
 爺様が未だ元気だった頃、わが家から中2軒ほど離れた飛び地にあるオンボロ小屋を納屋、あるいは物置として使っていた。
 その納屋が、先の暴風でちょっと傷み、この先まず使うこともないので取り壊そうと決めた。でも爺様が何かいろいろ古いもの
も仕舞い込んでいたし、その頃は既に少し怪しくもなっていたので、念のために整理しておかねばと思ったが、それはとても凄ま
じいゴミ屋敷?状態で、今の親爺の体力ではちょっと手が出ない・・・。で、心平に頼んで片付けてもらうことになった。
 心平は専門が考古学。もと岡山県津山市のお役人で、埋蔵文化財の発掘調査が専門だったのだが、その経験からか、もの
を探し出すのが実に上手い。
 薄汚れたお菓子のブリキ缶にはふるいモノクロの絵はがき、これは少なくとも昭和5年より前に撮影されたものだと思われる。
なぜなら、別山乗越に小屋がないのが見て取れるからだ・・・・・。大正末から昭和初期の撮影だろう・・・。


 いや心平のおかげで、見つけ出すことが出来た。古い立山ガイドの公的資格認定証だ。親爺も爺様(父)から話には聞いていたが
現物を見たのは初めての、祖父宗作の富山県発行「案内人証(19)」。かなり貴重な資料だ。親爺も最近少し怪しいので、オカカに
言って仏壇に仕舞い込んでもらった・・・・・。
  


11/19
 山里の村はずれの景色も、ずいぶん寒々としてきた。向かいの山の上の方にはなにやら白いものも見えて、冬の足音
どころか、姿が見えている。


 マーケットで安いフグ(ショウサイフグだろう)を見つけた。半額だったので、360円ほど・・・・・。
 

    これを3枚に下ろし、身はさいころに切って、・・・・・          中骨の方は潮汁とする。
 

 酒、みりん、醤油を煮立たせ、切ったフグの身を入れ、、山椒の醤油漬けを加え煮あげる。フグのそぼろだが、これを飯に
混ぜて喰うと、それはそれはうまい。その飯に、先に作っておいたフグの潮汁をかけて、もみ海苔を散らし喰うとこれも美味い
のだ。安いショウサイフグでも「河豚の魔味」を味わえる・・・・・。
        


11/17
 わが家には沢山の缶詰があったいや、今もある。父母が元気だった頃、山から取ってきたタケノコや、父が山林で育てて
いたナメコなどを缶詰として保存していたからだ。
 我が山里には缶詰を作ってくれる内蔵助山荘の親爺、常さんの工場?があって、今でも山菜や、ナメコ等を気軽に缶詰に
することが出来、シーズンともなると、山菜採りの好きな連中やキノコ狩りが好きな連中が繁く出入りする。
 今は亡き母が、平成10年に作ったナメコの缶詰があり、恐らくもうだめだろうと、廃棄するのに一缶開けてみた・・・・・。と、
全くなんともない、どころか、採って来たてのナメコの香りが生き生きと残り、ナメコを覆うぬめりというか粘液も、つやつやと
透き通り美味そうに見える。で、親爺はこれを佃煮にすることにした・・・。
 山菜採り大嫌い、キノコ栽培興味なし、の看板を上げている親爺なので、心優しい何人かの友人が親爺に毎年、シーズン
になると山菜やナメコなどを届けてくれる。そして、そんなナメコを今年も頂いて、喰うことは元より大好きな親爺なので、折角
の友の好意をいかに美味く喰うか、凝りに凝る・・・。
 このナメコの佃煮は、そんな中で親爺がトライし、非常にうまくいった成功例トップテンに入る一品だ。
 ナメコを鍋に入れ、砂糖、醤油、酒で煮る。このとき水は加えない(ナメコから水が出る。)がただ少し日本酒を入れると美味
くなるし、好みで削り節を少々入れても美味い。で、後は煮詰め、仕上げに酢を少し加えるとより味が引き立つ・・・大凡、市販の
エノキタケの瓶詰めの味を想像し、作れば良いだけだ。
 このナメコの佃煮が、未だストックの多い缶詰で作れることが分かって、捨てようと思っていたナメコの缶詰は親爺には宝の山
となった・・・。

 
 昨夕の「ゆふぐれ」・・・紅葉の名残をとどめた不動山と、雪衣を纏った大日が夕日を浴びる。


11/16
 いよいよ快晴となった。久しぶりに顔を見せる立山は思い切り白く装い、光輝いている。


 ちょと下流まで下りて、何気なく振り返ればこのあでやかさ・・・立山に惚れ直した・・・。


 真っ青な青空が広がり、純白の衣装を纏った大日が輝き、今日の山里は久々の陽ざしに温もって来た。
 予報では明日からまた天気がくずれる様だから、今日中に用事は全て済ませておくつもり。
 まあ、そんなにたいした用事でもないが、一応社会人として未だ生きているので、それなりの用事はある・・・。


 わが家の居間にも暖かい陽が射し・・・閻魔堂の杉木立と不動山の狭間に、純白の装いを誇るかのように大日が聳える。
  


11/15
 昨夜も寒かったから今朝は真っ白な雪景色だろうと思っていたが、あに図らんや黒々としたままの窓外の景色。
 それでも未だ空からは、時には雨、時には霙、時には雪、そしてまた雨と降り続いていて寒い。こんな日は、別段急ぐ用事
もないので家にこもってゴロゴロしていれば良い。窓の向こうの寒さは二重ガラスに遮られ、部屋には入ってこれない


 11/7に仕込んだ豚バラ肉だが、今日辺りで一度、吸水シートを取り替える。熟成が進み、良い状態になりつつある。
 

 新たな吸水シートで包み直し・・・さらにラップできっちりと巻き、冷蔵庫でもうしばらく熟成させる・・・もう五日余りかな・・・。
 
                                  
                                            約五日後くらいに・・・つづく


11/14
 とうとう初雪になった・・・。僅か数分だがこんな具合に降りしきった。11:30。


 雪じゃ〜。


 親爺が食いものに夢中になっている中に、あの冬の神様が来てしまった・・・。今朝は殆ど初雪に近い霙になり、脳天気
な親爺が、写真を撮ろうと居間の窓を開をけていたら、「寒いから閉めて」とオカカにしかられた。
 どうにもうまく撮れないが、まあ、こんな感じ。オカカじゃないが寒い!


 山里ももう初冬だな。明日は猟が解禁。去年、狩猟免許を返還してしまった親爺は今になってとても寂しくて・・・・・。


11/13
 陽がさして暖かい朝だ。ここ数日、と云うよりは一週間あまりの悪天続きでは今朝の陽ざしは珍しく感じてしまう・・・。
 親爺は元々食い意地が張っているらしい。子供時代に読みふけった十五少年漂流記や、マーク・トウェインのトム・ソーヤや
ハックルベリー・フィンのシリーズ、若草物語、クオレ等々の外国の物語はもちろん、次郎物語や坊っちゃん等々の日本の物語
にも、そこに出てきた未知の食べ物、なじみ深い食べ物にも興味があり、その食べ物にまつわるシーンは、とても印象強く頭に
残っていたのだから・・・。
 で今、還暦を過ぎても食べ物への興味は尽きず、食い意地もますます張って来る。が、残念至極、今や全く小食になって、思
う存分喰えないのだ・・・。
 それでも何か美味そうなものを見たり、聞いたりするとじっとしていられなくなる。しかも手に負えそうなものは自作したくなる。
 昨日もそれやこれやで、三品を作った。
 新生姜の甘酢漬け(ガリ)、同じく生姜糖、そして今流行の食べるラー油・・・。


 生姜糖は2作目だが、じっくり乾燥するとやはり市販品に近くきれいに仕上がる。前回は乾燥不足だった。 


 食べるラー油。フライドオニオン、フライドガーリック、ネギ、唐辛子粉、生姜、ごまに乾しエビ、切りするめ、肉カス(ラード
を取った豚背脂の揚げカス)に、サラダ油、ごま油、オリーブ油、砂糖、塩、醤油が材料。来シーズンの剱御前小舎でまかな
い用に作ってやろうと思うくらい美味く、手軽(面倒なニンニクの皮むき、きざみなどの材料の下ごしらえはヒデ釜長以下に下
請け)に出来る。保存の利く乾物で出来るから山小屋向きだ・・・。


11/12
 三日ぶりに、オカカと一緒に食糧の買い出しに出かけた。冷蔵庫には尚二日分以上の食材はあるのだが、まるでシーズン
オフの剱御前小舎のように空いているので、ちょっと補給しておきたくなったのだ。
 町へ向かう途上、夫婦連れとおぼしき野猿公(ヤエンコ=ニホンザル)が、のうのうと車道に遊んでいるのを見つけて、写真
を撮ってやろうと車を止めたら、のそのそと逃げ出した。決して慌てず、こちらをいぶかしげに眺めながら、悠々と離れて行き、
ある程度の距離になると立ち止まってこちらを眺める・・・。全く人擦れして、人を恐れなくなっているようだ。
 銃猟はもう止めた親爺だが、こうなるとちょっといたずら心が働いて、カメラを向けて「ホッ!」と脅し声を浴びせてやった。と、
さすがに虚を突かれた野猿公め、慌てて雄ざるが傍らの電柱に駆け上がり、雌ざるはススキの茂みに身を隠した・・・。
 本能的に雄が目立つおとりとなり、雌がその間に逃げると云う行動なのだろう・・・。
 しかし猿や熊やカモシカが人里をうろつき、元々はこちらに棲んでさえいなかったイノシシまでが出没する山里は、いよいよ
若者や子供の姿が減ってしまい、やがてはこの連中に席巻されるのかも知れない・・・・・。
 野生動物の保護ももちろん大切だろうが、人間は野生の動物と生活圏を共にすることは不可能だ。
 人間の生活圏に入ってくる野生動物は、野獣として毅然と駆逐せねばならぬ。
 野獣が人間界に入ってくることの因果関係ばかり云々して、人間が悪いのだから野獣でも殺さず、保護せねばならぬと言って
いる中に、野獣はどんどん増えて、被害もどんどん増えて、両方とも収拾不能なまでに増えてしまうぞよ〜・・・・・。
 


11/11
 昨夜は素晴らしい星空で、今朝の天気を期待したが、また曇天の朝。それでも久々に眺めた昨夜の星空は澄み切ってい
た・・・・・で、その星の素晴らしい夜、何故か、親爺はフライドガーリック作りに挑戦していた。
 失敗したわけではない。それどころか初めてにしてはかなり良くできたと思うが、こればかりは二度と作る気になれない。
 先ずニンニクの皮むき。過日飛騨で仕入れてきた小玉なそれは、ばらして皮をむくだけで閉口するほど細かい作業となり、
とても根気が続かない・・・・。親爺など調理台の前へ、いすを持ち出して座りながらの作業となった。
 次いでスライス。これがまた皮むき以上の細かい作業・・・で、この一連の作業には、強烈なニンニク臭が、作業の進行とと
もにいよいよ強く拡散し、ついにはオカカに換気扇を回せと苦情を言われる羽目となった。親爺の鼻はとっくにバカになってい
るので臭いは気にならないが、端にいる人にはかなり迷惑なのだ・・・。
 ここまでこぎ着ければ後は油で揚げるばかり、弱火でじっくりきつね色になるまで揚げ、網ですくい上げて新聞紙とクッキング
タオルを敷き重ねた上に広げ冷ますだけだ。


 で、今朝になって親爺の手は未だいくらかニンニクくさくて、着ていた上着はオカカがさっさと洗濯してしまった。
 それでも、冷めたフライドガーリックは蓋付きのの瓶に詰め保存して、揚げた油は別の瓶にとってガーリックオイルとして
保存し、色んな料理に使えるので、一挙両得。
 親爺はすこぶる満足し、得した気分で居るのだ・・・。


11/10
 隣の庭の「ムラサキシキブ」の一群。秋雨に濡れ、より鮮やか。
 とにかく山里は鬱陶しい鉛色の空が続き、冷たい雨も降っている。まあ、これが雪ではないから未だ心穏やかではある。


 オカカが丹精したわが家の庭のバラも、もう名残の一枝、二枝が花をつけているばかりだ。
  

 近所の銀杏の木が黄色く色付く頃、この葉っぱが散り終えると雪が来る。それでも未だつぼみのばらもあるのか・・・。
  


11/9
 ガスに覆われた肌寒く暗い朝。いよいよ冬の気配がしてきたようだ。暦では立冬を過ぎている・・・。
 ストーブを炊いた居間で、オカカはソファーで、親爺は床で日の大半を過ごすが、床暖房には未だちょっと早い様な日だ。
 仕入れてきた柿でも喰いながら、ゴロゴロする時間の、何とのどかな事か・・・・・。


 そんなのどかな時間に、親爺はこんな本を読んでいる。
 昭和46年親爺は上京し、花のお江戸は本駒込の「さくら荘」で学生生活を始めた。
 それと時を同じくして、少年週間誌上に連載され始めた「男おいどん」は親爺の愛読書となったのだが、これは「宇宙船艦
ヤマト」で知らぬ人はない、松本零士氏の作品だ。東京は本郷辺りの、「下宿館」の四畳半でくりひろげられる、主人公の大
山昇太(オオヤマ ノボッタ)の日々を、コミカルに、それでも身につまされるようなペーソスを交え描かれたこの漫画は、当
然のように当時の親爺にも、四畳半生活のバイブルとなったのだ。
 オヤジはもう還暦を過ぎたが、この本(復刻版)の中の大山昇太は未だ青春真っ盛りで、昇太を取り巻く世の中もあの頃
のままで、きっと昇太の近所にはあの頃の親爺も住んでいるはずなのだ・・・・・。
 恐らく、ゆとりある時間がようやく持てるようになった「団塊の世代」をターゲットに、最近はこんな本が数多く復刻されるよ
うになったのだろう。嬉しいことだ。親爺も元気を出して、せいぜい読みまくるぞ〜


11/8
 霜月の小雨に濡れても、鮮やかな赤色も黄色も褪せることはない。
 もうすぐ白一色の雪衣を纏う山が、せめてその前に精一杯華やかに装い、心置きなく冬ごもりに入ろうとするかの様だ・・・。
 半世紀以上見続けている不動山の紅葉も、こんなに鮮やかだった記憶は親爺にもあまりない。
 寂しげで、それでも色濃い頃・・・・・山里の秋とはそんな頃なのだ。
 親爺60回目の秋が終わる・・・。
 

 などと旅愁をかみしめる親爺ではない・・・。
 非常に美味い「黒部名水ポーク」が、意外と近いところでしかも良心的な価格で手に入ることを知った親爺は、早速これで
ベーコンを作る事にした。
 この素晴らしい豚バラブロックをご覧じろ・・・。600gあまりで1000円足らず・・・。  まんべんなく粗塩を振り肉にすり込む。
 

 この魔法の吸水シートで塩をした肉を包み・・・・・さらにラップでピッチリ包む。後は冷蔵庫で熟成・・・。これで、1週間から2週間じっと待つ・・・。             
 
                                                                  1〜2週間後に つづく


11/7
 オカカの刺繍が出来て、取り寄せた額に納めてみると、これはなかなか素晴らしいできばえだ・・・。8ヶ月がかりで一針ずつ
刺して仕上げたのだから・・・で、オヤジとかなり似てきたオカカは、2作目を既に取り寄せ、昨夜これに取りかかった。
 刺繍枠のサイズ替えに親爺が手を貸して、オカカは白い元生地をこれに張り、準備を整えた・・・。


 親爺はこれを尻目に、注文してある今冬眠シーズンメインの模型が来年2月にならないと届かないので、お手軽なプラモ
かあるいはモデルガンのカスタム(もちろん合法)かなどと、思案投げ首・・・が、冬眠前の食い意地が先行し、中華おこわを
作った・・・。餅米が去年のもので、古米臭で余り美味いできとはいえなかったが、粉山椒でごまかすと美味いは、美味い。


 一升も作ったので、喰いきれるわけもなく、心平、緑へもお裾分け。それでも残り、今朝長女が中華おこわおにぎりを8個
作り、職場へ持って行った。食欲旺盛な男性の多い職場故すぐに消費できるらしい・・・。(9:00前に完全消費された旨連絡在り)
 親爺が中へ入れる具(豚バラ肉、タケノコ、椎茸、マイタケ、キクラゲ)を醤油、酒、オイスターソースで炒め煮にし、オカカが
おこわを蒸し、蒸し上がったおこわに具をのせさらに数分蒸し、最後にこれをまぜ合わせて完成。
 


11/6
 先だって小屋閉めのご挨拶に伺った松本市の東邦航空の小松所長にリンゴを沢山頂いた。
 小松さんのご実家がりんご園をやって居られるとのことで、凄い大玉の恐らくシナノゴールドだろう、みずみずしく驚くほど
甘く適度な酸味もある、つまり味の濃いリンゴで、一つ皮をむくと、親爺とオカカの朝ご飯がこれだけで済んでしまう。
 こんな美味いリンゴは皮も捨てない、炊きっぱなしの居間のストーブに鍋をかけ、砂糖を入れてコトコト煮込み・・・・・・・


上等なリンゴシロップを作る。これを紅茶に入れれば、立派なロシアンティーになる・・・。


11/5
 親爺が若い頃の立山の山小屋の小屋開けは、殆ど大町からの入山で、扇沢からアルペンルートを使わせてもらい室堂
に至っていた。だから大糸線(国道148号)には慣れ親しんでいて、未だ未舗装部分が多く残っていた頃を知っているので
現在の大糸線の素晴らしく良くなった事を、しみじみと実感する。
 白馬村の外れ辺りだったろうか・・・この辺は山が迫って見える。


 大糸線で糸魚川に入ればすぐ高速道路で、家までは僅か一時間・・・。滑川IC辺りを過ぎて、見慣れた剱が見えていた。


11/4
 60歳に成り立ての親爺で、夕べ寝ている中に60歳になり、朝を迎えた。
 オカカと3人の娘たちの企画してくれた「父さんの還暦祝い」は、かなり照れくさいものだが嬉しかった・・・。
 昭和27年11月4日から同日五年ごとの新聞ファイルやら、ケーキまで、しかも最後は娘三人からお小遣いまでもらって
しまった・・・。ちょっと複雑だが嬉しいから、かねて欲しかった宗谷の超合金モデルを購入しようと考えている・・・。
 こう云う娘たちの心遣いは、素直に自分のために使うべきなのだと考えた・・・訳でもないが、まぁ、何としても欲しかった
模型が購入できれば嬉しい限りで、これは親孝行な3人の娘たちの望むところでもあろうから・・・と判断したのだ・・・そうだ
な、3人の娘たち?・・・・・・・・・・。60になっても脳天気な親爺だ・・・。


 まずはお決まりの集合写真・・・親爺でかいなぁ・・・        さすが女の子たち、こんなケーキなんて初めて見た親爺・・・。
  

 30年ぶりの親爺とオカカのケーキカット・・・          金一封も親爺の意表を突いたが、何か未だ催促する様な親爺・・・。
  


11/2
 今日は昔懐かしい味、「生姜糖」に挑戦してみた。昨今は色んなレシピをネット上から検索できるので助かる。
 とは云え、いい加減でおおざっぱな親爺が、お砂糖何グラム等とやるわけはなく、すこぶるおおざっぱなのだが、まぁそ
の分何回か失敗することもあるが、おおよそ食えるものが出来、最後にはそれなりに満足するものが出来る事もあるか
も知れない・・・・・???
 で、ちょっと怪しいが、今回もこれで2度目で、以下のようなものが出来た。ちゃんと一切れずつつまんで食することが出
来る・・・前回はカチンカチンの一塊の「生姜糖塊」になってしまったのだ。
 湿気らぬよう瓶に詰め、日本茶の茶請けとするとたまらない。


11/1
 月が改まって、自分の誕生月となり、四日には満六十となる・・・。
 長女が富山、次女が東京、三女が松本で、それぞれ勤めを持っており、親爺の誕生日には松本で全員集合となった。
もちろん親爺の還暦祝いとのことで、オカカも張り切っており、親爺もまぁ、嬉しくはあるが一抹の寂しさも禁じ得ないので
ある・・・。
 今日は、紅葉たけなわの称名まで足を伸ばしてみた。自宅から称名までは約16km、車で一息の所だが毎年この時期
に一度訪れるだけの場所だ。
 悪城の壁が見事な紅葉を見せていた。


 称名滝の滝見台へは車では入れない。遠くから見てもう満足・・・。
 実は立山への行き帰りに何時も、アルペンルート上の滝見台から眺めているのだ・・・。


10/31
 子供の頃はこの独特のにおいがいやで、敬遠していたムカゴだが、今はこの風味をたまらなく好ましく感じる。
 バター炒めでさっと塩を振っても良いが、昔、母が甘辛く煮付けていたのも覚えていて、今日はバターで炒めた後、酒と
醤油を振ってちょっと蒸し煮にして仕上げた。美味い。最近覚えたノンアルコールビールの晩酌のお供にちょうど良い。


 豚バラ肉に塩を当ててピチットシート(調理用吸水シート)にくるみ、冷蔵庫で一週間程おいておくと、適度に塩が回り熟成
してパンチェッタのような風味が出てくる。これを燻すと上等なベーコンが出来る。もちろん燻し方も様々だが親爺は最近は
土鍋燻製ばかり。ガスの調整をある程度こまめにし、温度を上げすぎずに燻したベーコンは絶品!何度で何分などと云う事
は知ったことではないが、土鍋のふたに辛うじて1,2秒手を触れていられる温度を2〜30分くらいかな・・・・・。
 火を止めたらふたを取らず放置し、ふたも鍋も冷めたら中のベーコンを取り出し、一晩は風乾すればよい。
 美味いベーコンができあがっているはずだ。これを食べると市販品は食えない事請け合い。


10/30
 電子書籍端末を購入し、「青空文庫」からいろいろダウンロードして、かつて慣れ親しんだ名作を再読、あるいは新たに
読みふけっている。文章のあるウエブアドレスを入力すると縦書きのPDFファイルに自動的に変換してくれる無料ソフト
あり、端末上に表示される文字の大きさもある程度自由にこのファイルで調整できるので楽だ。
 読書灯付きのブックカバーをつけても200グラム程度の端末には何百冊もの本を収納できる・・・親爺のように、本好き
で、一寸放浪癖?もあるような旅好きには、こんな良いものはない。しかも画面が紙とほぼ同じな端末なので目も疲れぬし
カバーに付いているLEDの読書灯を使えば、隣で寝ているオカカに「明るすぎる」と文句を言われる事もない。
 青空文庫からダウンロードできる作品は、日々膨大に増えて行き、その殆どが我々の世代が慣れ親しんだ日本語で書
かれていて、素晴らしい作品が多いから飽きることはない・・・。
 電子書籍端末は素晴らしい文明の利器だ・・・・・。


10/29
 村はずれの木々もこんなに色付いた。
 今日は雲がちで、肌寒い日だが天気が好転するらしく青空も見え始めた。


10/28
 山の大先輩が又一人旅立った。小柄小太りで、愛嬌に溢れた風貌はまさに立山の金太郎さん・・・。皆から「モリ」と親し
まれた一代の山人だった・・・。モリさんは、古くは爺様の経営する剱御前小舎でも働いていたし、その後山岳警備隊員と
して定年退職するまで、立山で活躍した。明るく、屈託無く、賑やかな立山生え抜きの山人だった・・・
 齢八十、以て瞑すべし・・・。合掌。
 鉛色の空に大日が姿を見せている、暖かい朝。


10/26
 用事で出かけた飛騨市だが、帰りには野菜を買い込んだり、有峰林道を通って帰ったりと、疲れたがオカカと二人で、
気ままに秋深い山々を楽しんできた。
 双六側を遡り飛越林道に通じる飛騨川の山々は、紅葉の盛りが青空の下に鮮やかで、素晴らしい。
 

 有峰の紅葉も今が盛り・・・。


 それにつけてもこんなに野菜を買い込んで、どうしよう・・・・・。


10/25
 親爺は前あきのフリースが好きだ。ずっとパタゴニアを愛用している・・・これは別にブランドにこだわる訳ではなく、全て
実用本位の親爺のこと、サイズがピッタリなのである。いわゆるアメリカンサイズで選べるので、これなら親爺もゆったりと
着られるから、パタゴニアが好きなのだ・・・。
 前開きのフリースはジッパーの開閉具合で温度調整が可能だし、肌着の上に直に着て十分暖かい。
 一年の大半が山里の雪の下と、立山の雪の下と、暑さ知らずの標高2750mで過ごす親爺にはこれ以上の上着はない・・・。
 小屋を閉め、下りてきた下界から、もう真っ白な剱が見える・・・。


10/24
 雲が切れ、目に飛び込んできた立山はすっかり雪衣を纏っていた。
 山里の秋も深まり、親爺達も下りて来て、周りの木々もすっかり色付いて来た。今年は立山の紅葉が綺麗だったから
もう山里の紅葉など・・・と、云う訳のものではない。山里の紅葉は又違った趣を持ち美しい。
 親爺の散歩コースがこれから一番美しくなる季節だ。
 ”あでやかな紅葉(もみじ)の彼方に白き峰”・・・いや〜、日本って良いなぁ〜!!


10/23
 昨日、打ち上げが終わって、帰路に立ち寄ったお土産屋さんで、皆と別れオカカと二人山里に戻った。
 同じ山里に住む心平以外、皆それぞれのすみかに帰って、しばし山の疲れを落とすだろう・・・。
 で、親爺とオカカの山里生活が又今日から始まった。流石に午前中は色々と雑用があり外出していたのだが、午後は
気ままな自由時間。
 親爺は早速、取り寄せておいた懐かしい昭和30年代の月刊誌復刻版を広げ、うきうきと趣味の世界に浸り始めた。
 今や「サンデー毎日」世代のために、こんな嬉しいものが続々と販売されているのだ。
 若い人には分からないだろうが、親爺なんて懐かしくて嬉しくて・・・・・・・・嗚呼、堪らない!!!


10/22
 剱御前小舎の小屋閉め打ち上げで、スタッフ一同と和倉に来た。
 和倉パークホテル十番館さんは以前オカカとお世話になった事があり、気さくなご主人が長野県大町市のご出身と言う
ことで、山繋がりの縁で、ずいぶん良くしていただき、今回またお世話になり非常に良くしていただいた・・・。レストランの
脇の横断幕付きの個室を用意していただき、山海の珍味はもとより、ついには小屋閉め祝いのケーキまで・・・・・。
 親爺オカカももちろん、スタッフ全員が大喜びで、ゆっくりくつろがせていただいた。


  以下、写真をご笑覧あれ・・・・・・・・・・・・・・。 十番館さん有り難うございます。
   当剱御前小舎の釜長兼厨房長兼副支配人のヒデさんがこの横断幕がことのほか気に入ったようです
  

 心平支配人とヒデ副支配人とタケちゃん・・・。          これに親爺が中に入るとどこかの組の解散式???
 

   三婆と言うにはクミちゃんが可愛そう・・・                 ヒデはしらふでも楽しい・・・・・
 
 
   最後までごちそうから離れられないのは・・・              ケーキは嬉しかったオカカだ・・・。
  

  皆さん本シーズンも有り難うございました。十番館さんお世話になりました・・・。

inserted by FC2 system